2015年10月6日火曜日

犠牲の上で成り立っている活動は長続きしない

日曜日は、息子の保育園の運動会があり、朝からお手伝い。
保育士さんたちは、日頃の保育だけでも大変なのに、勤務が終わってからも準備を頑張ってくれていました。
当日も早朝から集まって準備し、運動会後の片付けも遅くまでやり、次の日は朝から通常勤務の保育。
保育士さん、一人ひとりにも家族がいて、プライベートがある。
保育士さんたちには、本当に頭が下がると同時に、誰かの我慢や犠牲の元に成り立っている現状に疑問を感じます。

私もボランティアではなく、ビジネスとして自閉症支援を行っています。
ですから、労働に見合う報酬を受け取るのは当然ですし、仕事を続けていくにはお金が必要です。
でも、時折、料金の支払いをしないのではなく、渋る方がいます。
「できるだけ安い金額で」ということを言われる方もいます。

お金に余裕がないけれど、「藁をもすがる思いで」という方なら上記のような発言はわかります。
しかし、渋る方のほとんどは一般的な暮らしができている方です。
お話を伺うと、お子さんがたくさんゲームを持っていたり、パソコンを持っていたり、DVDを買ってあげたり、お小遣いをあげていたり・・・。
ということは、お金に余裕がないからではなく、支援や療育にお金を払うことに対して抵抗があるのだと推測できます。

診察、相談、療育を受けても、ほとんどお金はかかりません。
それはあくまで利用者側が。
何割か支払いをしていたとしても、大部分は税金で賄われています。
平日、児童デイを利用して月に数千円支払いをしたとしても、それ以上の何倍もの大金が税金の中から事業所に支払われているのです。
一回利用するのに、本当は一万円かかるのですよ。
私たちが一年間に払っている税金の総額はいくら??

子どもがスポーツクラブに通えば、月謝に、道具代、遠征費がかかるのは当然なことです。
塾に通えば、授業料、教材費を支払います。
じゃあ、自閉症支援や療育にお金を支払うことをためらう背景は・・・。
そのような方の中には、障害者支援は福祉が、国が担うべきことと思っている人がいるのではないでしょうか。

もちろん、この社会に生まれた人たちは、障害の有無に関わらず、平等な機会が得られるべきであり、助けが必要な人には余裕がある人から手を差し伸べる必要があるのだと思います。
しかし、支援者の力量不足、理解不足でぐちゃぐちゃになった糸をほどくのに何故、税金が使われる必要があるのでしょうか。
障害を持った人たちのより良い生活のために、早期から医療、福祉、教育が携わり、多くのお金と人員、環境をかけているのです。
そういった資源を利用している中で、ぐちゃぐちゃになったこと、身につかなかったことは、自分でお金を払ったとしてもクリアにしていかなければなりません。

定型発達の子どもが「学力を上げたい」「サッカークラブに入りたい」「ピアノを習いに行きたい」となったら、「じゃあ、税金で何とかしてもらおう」とは思わないはずです。
より高いスキルを、新しいスキルを身に付けようとしたら、私財を投じるのが世の中の常識です。
お金が払えないのなら諦めるか、現状でできる可能性を探す努力をします。
「すべてを税金で」っていうのは考え方が甘すぎますし、一般的な人たちとはかけ離れた考え方です。

多くの方に利用してもらっていますが、そのほとんどの方が当然のこととしてお金を払ってくださいます。
中には、「こんなにいろいろなことをやってくれるのに、利用料が安すぎて申し訳ない」という方も多くいます。
(例えご厚意であったとしても、決められた金額以上に利用料をいただくわけにはいかないと言うと、お菓子や飲み物、生活用品などをくれる方たちがいます←ちなみに利用料のみの方への催促ではありませんよ(笑))
上記のような渋る方はごく一部の人です。
民間はダラダラ支援を引き延ばせば、そのときはお金がたくさん入りますが、「腕が悪い」「通っても効果がない」と言われ評判を落とし、お客さんが離れていくのです。
だから、短い期間で、見える形で結果を出さなければ、結局潰れてしまいます。

民間と公的機関は仕組みが違います。
結果を出さなくても税金で助けてもらえるわけではないのです。
ですから、気持ちよくお金をお支払いください(笑)
支払った金額に見合わないサービスだったら利用しなければ良いのです。
そのために相談等は無料にし、しっかり納得し、合意してからでなければ、お金はいただいていないのです。
「お金はかからないけれど、選択肢がない」というのは、当事者の人たちのためにはならないと思っています。
犠牲の上で成り立っている活動は長続きしないというのが、私の意見です。

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