【No.1116】なんで発達したかなんて、わかりっこない

ほんとに驚いてしまいます。
未だに「これだけの人数で抑えられているのは、多くの人が感染予防に努めているから」と言っているなんて…。
単なる負け惜しみか、自分が宣言したことを撤回できないだけなのか。
欧米で亡くなった方達も、そのほとんどが基礎疾患を持っている高齢者というデータが出ていますね。
「日本人はきれい好きで、予防の意識が高い」なんていうのも、屁理屈もよいところで、だったら、日本よりも決して衛生状態が良くないといえる東南アジアの国々で、どうして感染者数が少ないのか、死者数が増えないのか。


でも、一番腹立たしいのは、こういった発言をしている専門家が一般の人たちをバカにしていることですよ。
「緩めたら感染者数が爆発する」というのは、こちらが指示しなきゃ、自分たちで自己防衛は無理だろう、どうせすぐに好き放題、元の生活に戻るんだろう、という専門家特有の上から目線ですね。
そんなにいうのなら、世界的に基礎疾患を持っている人たちが重症化し、亡くなっているのですから、そっちの基礎疾患を治すほうを頑張ってくれよ、と思うのです。
私達は今回の騒動で今一度、立ち止まり、「医療とは」と問い直す必要があるのではないでしょうか。


立ち止まると言えば、今回、緊急事態宣言が出され、ほとんどの療育機関がストップした時期がありましたね。
未だに制限があったり、以前のような講演会、研修会が執り行われていない状況です。
今一度、考えましょう、「特別支援ってなんなのだろうか?」「療育ってなんなのだろうか?」と。


私がこの世界に入ったときには既に「早期療育は良いもの」「特別支援を受けることは当然のこと」とされていました。
でも、なんで早期療育を受ける必要があるのでしょうか。
どうして、支援級や支援学校に通う子ども達は、放課後は児童デイに行き、定期的に療育機関や病院に通うのでしょうか。
その目的と答えがよくわからないのです。


学生時代、確か療育も、支援も、「本人の"自立"へ繋げるものだ」と教わりました。
でも、いくら早期から療育を受けようとも、私達一般の人たちがイメージする自立をしている人はほとんどいませんね。
早期から療育や支援を受けた子は、大人になっても支援を受け続けています。
「自立」を掲げていたのは、輸入元である欧米の理念をそのまま持ってきたからでしょう。
私も実際に見てきましたが、日本で言えば、絶対に入所施設だよね、という人たちが地域のグループホームや家で生活していました。
あちらは、学校を出たら、どの人も家を出て暮らすという文化がありますので、それが特別支援の世界にも表れているのだといえます。
「家を出て一人前」「納税をして一人前」
それがあちらの文化です。


あとは環境の違いも大きいと思いましたね。
家の壁がぼこぼこだったり、一晩中、大きな声で叫ぶ人も、アパートというか、日本で言えば一軒家みたいなところで生活していました。
いくら叫んでも、大きな家に住んでいて、隣の家が離れていれば、そこまで問題にはならないでしょう。
言うならば、北海道でもさらに人が住んでいないようなところで、ポツンポツンと家があり、そこで暮らしているのです。
そういった文化と場所で生まれたものを、そのまま、日本に当てはめるのは無理がありますね。
だって言っちゃ悪いけれども、視覚支援がどうのこうのとか、支援方法がどうとかじゃないんだもん。
すべて食事はデリバリーでも、「彼は自立して生活できている」
食器洗いの仕事で洗い残しがあっても、「彼は自立して働いている」
まあ、食器洗いに関しては、職員さんも汚かったですが…。


ちょっと脱線しましたが、あちらの現状をしている人は気づいているんですね、「こりゃあ、療育や支援だけでは自立しない」と。
当時のギョーカイメジャーの有名支援者も、日本の講演会では絶賛し、推奨しつつ、内々で話したときは、「これを日本に持ってきても無理だよ」と言っていましたので。
ここは日本人特有というか、専門家とか、教授とか、理事長とか、肩書が付くと、全部まるまる正しいことを言っていると思ってしまうところがありますね。
今回もすごい賞を採った人が「10万人」と言ったきり、どこかに消えてしまいました。
専門家とはいえ人間ですし、いろんな関係性の中で生きているのですから、間違うこともあるし、本音と建前がある。


そういった「こりゃ、自立は無理だな」と気づいた専門家たちが、いつからか「早期から療育や支援を受けるのは、二次障害にならないためだ」と言うようになりました。
(そういえば、近頃、誰も自立って言いませんね)
これもおかしな論理ですね。
二次障害に"ならない"ため、なんですよ。
そんなもの、どうやって証明するの??
自閉症や知的障害を持つ人の中にも、二次障害を起こさない人はたくさんいます。
でも、それが療育や支援のおかげか、なんてどうやって言うことができるのです。
一卵性双生児の兄弟を連れてきて、片方は療育アリ、もう片方は療育なし、で育てて証明でもするんですかね。
ほんとうにばかばかしい話です。
デタラメを言うなら、もう少しまマシな文言を作るべきですね。


確かに診断を受けずに大人になり、精神疾患になってから初めて「自閉症」というような診断名が付くことがあります。
でも、「早くに気づかれなかった」「療育や支援を受けていれば違った」は、仮説の一つにすぎません。
だって、子ども時代に診断を受け、療育や支援を受けた人達の中にも、精神疾患になったり、自立できずにいる人が大勢いるのですから。
そんなことを言うと、「理解が足りなかった」と別の仮説を話し始める人がいますが、同じ時代を生きている人達の中にも、自閉症という特性を持ったまま、働き、自立し、家族を持っている人たちがいます。
それはただの仮説であり、その人の意見でしかないのに、あたかもそれが事実のように主張する。
そして、それを信じ実行した人たちの未来には、何の責任を持たない、言いっぱなし。
特別支援という閉鎖的でニッチな世界だけの話かと思えば、今回のコロナ騒動で、「ああ、どこも同じパターンの古典的な方法だったのね」と分かるのでした。


私の結論から言えば、受けても受けなくても大差はないし、子ども本人からしたら受けなくて困るようなことはないだろう、ということです。
むしろ、就学時、普通級に行っている子や今、自立して生活できている若者たちを見ると、できるだけ幼少期は同年齢の定型発達の子ども達とともに活動している人のほうが伸びているのがわかります。
私の20年弱の経験の範囲でしかありませんが、幼児期に療育機関や支援が必要な子が通う園にフルで通って、そのあと、就学時に普通級という子はほとんどいませんし、いたとしても、途中で支援級に移っていますね。
幼児期がっつり支援の子は、成長していっても、支援が切れない感じがします。
まあ、圧倒的に同年齢の子ども達が体験したり、学んだりできていることが抜けていますからね。


私はこの仕事をしていて、他人ができる支援なんて微々たるもんだな、と思います。
関わった子どもさん達の中には、普通級に転籍した子もいますし、幼児期に困っていた症状が見られなくなった子もいます。
「生涯、支援だね」と言われた子どもさんが、今は大学に行ったり、普通に就職したりしています。
だけれども、私が教えたアイディアとか、相談に乗った時間とかは、ほぼ影響なし。
結局は、本人が自分で感じ、考え、選択し、行動した結果なんですね。
そういった子ども達の親御さんとお話ししても、よくわかります。
誰も「私が〇〇したから」とか、「〇〇療法をしたから」とかって言わないんですね。
「ああ、この子が無事に自立できてよかったな」
「あのときの生きづらさがよくなって良かったな」
そんな感じです。


「早期療育があったから」
「うちの専門的な支援を受けたから」
そんなことをいうのは、自分に注目してもらいたい人間と、それを宣伝に使いも受けようとしている人間だけです。
だって、全部仮説だし、意見の一つだから。
もっといえば、本人ではない他人の勝手な解釈でしょ。


私も発達について一生懸命学んでいます。
でも、いくら発達について学び、詳しくなったとしても、その子がどうして変化したのかなんてわかりっこありません。
前後を比べて、発達したかどうかは現象として捉えることはできますが、それだってもっと遠い未来から見れば、完全に発達できたといえるのか、やりきったといえるのかはわからないのです。


ヒトの発達とは、目に見えるものではありません。
だから、誰々が言ったからとか、みんな利用しているからとか、そんなもんで選択してはなりません。
大事なのは、主体である子ども本人。
本人が前向きに療育機関に通っているのなら、そこに何か学びや成長があるのでしょう。
反対にそういった様子が見られないのなら、誰のために通っているのか、問い直してみることが必要だといえます。
それが「子どものことをよく見る」ということです。


私は多少経験がありますし、納税者でもありますので、療育が唯一の場所ではないことも、結果に見合わない額の税金が使われていることも分かります。
一般的な幼稚園だって、地域の公園だって、家族の旅行だって、親子の関わりだって、子ども達の発達を後押しするわけです。
どこが優れているとかはなく、いうならばその子の発達段階と時期によって、必要な場所が変わっていくのが自然です。
今の療育のレベルで言えば、発達段階の初期の子には意味があるでしょう。
でも、子どもの発達が進んでいるのに、通い続けるメリットはないと感じます。
まとめますと、療育に特別な効果の有意さはなく、家でも、普通の園でも、公園でも、親子だけでも育ってしまうとバレてしまうとまずいから必死に「自立」「二次障害」「専門性」と連呼しているだけですね(爆)
なんか(自称)専門家が言ってきたら、「先生からの意見、仮説の一つとして受け止めますね、ニコッ」と微笑み返し!




コメント

このブログの人気の投稿

【No.1358】体軸が育つ前の子と、育った後の子

【No.1364】『療育整体』を読んで

【No.1370】それを対症療法にするか、根本療法にするかは、受け手側の問題