2020年10月28日水曜日

【No.1121】発達の遅れ=自閉症なの??

毎年、この時期になると、お子さんの成長した様子を教えてくれるメールが多く届きます。
夏思いっきり遊んだ子ども達が、だいたい3ヶ月くらい経って、ググッと神経が繋がり、大きく育つ時期なんでしょうね。
中には「大久保さんの発達相談のおかげで、治りました!」と言ってくださる親御さん達もいますが、まあ、私はきっかけの一つであって治す力は持っていませんし、言うならば治したのは子どもさん本人で、それを後押ししたのはご家族です。
でも、その「治った」も、私が関わるお子さんの場合、なんか違う気がしますね。
治ったというよりも、ヌケていた発達課題が育った、未発達の部分が育ったという感じ。
子どもが発達するのは当たり前なので、それに未発達が育つのは特別な出来事ではないですし。
ですから、治ったというよりも、特に幼児さん、小学生の子ども達に関しては、いま、「育った」のだと思います。
この辺りのニュアンスが、やはりある程度、年齢を重ね、生きづらさを抱えながらも、生活も、脳内も、折り合いをつけてきた人たちとは違うような気がします。


ここ1年くらい、「治った」と「育った」をその人の雰囲気で使い分けていました。
でも最近、わかったんですね、その違いが。
この前もそうなんですが、自閉症という診断名がある子のおうちに行ったんですね。
でも実際に本人にお会いしたら、どこが自閉症なんですか?と思うくらいナチュラルだし、そもそも診断基準ぜんぜん満たしてないじゃん、という子だったんです。
私が仕事で伺ったのに、反対にお母さんに「どうして自閉症って診断できたんですか?」「どういった行動、症状があったんですか?」と尋ねちゃうくらいです。
でも、こういった出来事というか、現象というか、本当に多いんですよね、道内だけではなくて、全国あちこちでも。


現在の診断方法が適当かはおいといて、自閉症というからには中核的な特性が揃っている必要がありますね。
言葉の遅れや他者との関わり、それに伴う想像性や固執、感覚面の異常さとか。
しかし私がお会いする子ども達は、あっても1つか、2つかで、それも既に治っている、症状や異常さが消えている、定型の範囲まで育っている場合ばかりなんです。
ここで考えられるのが、「治った」ということですね。
確かに診断を受けた時点では、自閉症の中核的な特性が一定以上見られていた。
でも、その後の成長の中で、そういった異常性を持つ特性が治って、今はこれだけになっている、自閉症の診断基準を満たしていない、ということ。
この場合、日本の特別支援における「一度、付けた診断は外れない(外さない)」というムラの掟が悪いほうに出ているんですね。
ある県では、その県内におけるトップの医師がいて、その医師が一度付けた診断名は外さないというルールがあると聞きました(しかも、複数の方面から)。
中には、正直に「勘弁してください。〇〇先生の判断を否定するようなことはできないんですよ~」と話してくれる若手の医師もいるそうですが。
世界的には認められている、というかそれが自然なことだと考えられている神経発達症に関しては「診断名が外れる」という現象も、国内ルールでは認めていませんので、こういったことが起きるんだと思いますね。


でも、ここで話が終わらないんです。
単に「一度付けた診断は外さない」というムラの掟ならわかるんですが、どうも最初から自閉症の特性が複数あったかどうか、そもそもそれが特性といえる状態なのかが怪しいんですよ。
「言葉の遅れはあったんですか?」と尋ねれば、「確かに言葉の遅れがありました。初語が2歳前後でしたから」と返ってきたりして、これの何が問題かといえば、初語が2歳前後は確かに同年齢の子と比べれば遅れていることに違いないが、それでも定型発達の範囲内ではあるんですね。
他にも、「共同注視がなかった」とか、「指さしがなかった」とかいうのもありますが、お母さんが困った顔をしていたら、すっと優しい声がけをしたり、「ねえねえ、見てみて」とモノを持ってきて見せたりしていたり。
あと多いのが、「こだわり」
こだわり、固執というのは、認知の部分で行うことではないんですね。
もう脳内でそうせざるを得ないような神経回路が出来上がってしまい、身体のあとから認知が追い付こうとしている感じです。
なので、本人の意思で止められないし、止めるにはそれ相当のダメージが生じるのが普通です。
それなのに、医師から診断された「こだわり」がただの車が好きとか、同じ道で帰りたがる(そっちに好きなものがあるから)とか、同じ服を着たがるとか、そんなレベルのものばかりなんです。
それって幼い子にフツーに見られる行動でし、そもそもそこに生活に支障が出るくらいの異常性はないでしょ。


そうなんです、生活に支障が出るくらい、本人にはどうしようもないくらいの症状だからこそ、障害になるのであって、ただの発達の遅れは障害ではないんですね。
つまり、私が仕事をしている範囲ではありますが、全国的に一時的な発達の遅れが、なんだかわからないけれども、「自閉症」になっているんですよ。
自閉症の子に発達の遅れが見られるのはわかるけれども、発達の遅れがある子=自閉症ではないんですね。
いやいや、それってただの発達の遅れだし、そもそも定型の範囲の後ろのほうにいるだけだし、というのが多すぎ。
「ああ、現時点で発達に遅れが見られていますね。だったら、そこを丁寧に育てていきましょうね」でしょ、普通。
それなのに、無理くりかどうかはわかりませんが、発達に遅れが出ている子を「自閉症」にしてしまう現状っておかしいですよね。


自閉症の診断基準って、何度読んでも、純粋に自閉症の人だけではなくて、重い知的障害を持つ子やそれこそまだ育っていない未発達が多い子も該当してしまうような記述になっているんですね。
だから、純粋な自閉症の人がいるのかどうかはわかりませんが、とても曖昧だし、診断者の意図によって広くひっかかるような仕組みになっているといえます。
だから誤診がこんなにも多いのでしょう。
そしてさらに問題をややこしくしているのが、白い巨塔みたいな医療の世界と、特別支援ムラの掟。
本当は良くないけれども、いいんですよ、誤診だったら誤診で、認めてくれれば、ちゃんと詫びてくれれば。
でも、ただの現時点で発達が遅いだけの子が、たぶん、療育や支援が受けられるようになるために「自閉症」という仮の診断名が付けられて、しかも外せない、しかも介護しやすい人に育つための支援の世界に放り込まれる…。
こうやって、最初は一時的に発達が遅れていただけの子が「自閉症」になり、そうやって育てられていくうちに自閉っぽくなっていくんですね。


発達の遅れは障害ではありませんね。
もし神経発達が生じないのでしたら、それは障害だと言えると思いますが。
実際は適切な環境と時間によって、ほとんどの子は育っていきます。
ただ育つ機会、環境、時間を奪われるから、発達の遅れが育たないまま、後天的に知的障害の範囲に入ってしまったり、育ちの偏りが脳の偏りになり、自閉症のような言動、症状が出てきたりするんだと思います。


ですから最近では、発達の遅れは、発達の遅れのままにしてくれよ、と思いますね。
そうすれば、親御さん達も、その遅れの部分に注目して、そこを丁寧に育てていこう、後押ししていこうという気が起きるのではないでしょうかね。
どう考えても、「自閉症」というインパクトは親御さん達にとって大き過ぎです。
「発達の遅れがありますね、お母さん」のままだったほうが、流さなくてよかった涙と、諦めなくてよかった子育て、家族の時間がたくさんあると思います。
それに前向きな関わりと子育ての中で、遅れていたところが自然と育ち、同年齢の子ども達と一緒に歩んでいけた子が多いですよ、きっと。


私が関わる家庭は、治ったというよりも、育った子のほうが多いと思います。
ということは、それだけ人災が多いんですよ、人災が。
良かれと思っての「自閉症」という診断かもしれませんが、結果的にその子の人生に大きな影響を与えているんですね。
本人自身がコントロールできない、それこそ、認知ではなく、脳内で生じている現象に関しては、支援や療育、理解や薬が必要でしょう。
でも、「発達障害も発達する」
さらに「子どもはみんな、発達する」
大人だって発達するんだし、発達しないんだったらそれは生きていないのです。
子どもの発達する力を信じなきゃいけませんね、まずはそこからですね。




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