2020年10月5日月曜日

【No.1108】治療法がないのに診断する意味ってあるの?

私がトレーニングを受けたときのドクターは、「今、アメリカでは、どんどん診断がつけられるようになっている。以前は自閉症に該当しなかった子ども達までも」と嘆いていました。
50年前は稀な障害だったのにもかかわらず、今ではすっかり珍しくない障害になり、発達障害のブームすら起きている状況です。
この調子で増え続ければ、2030年代には子どもの半数は発達障害ということになるかもしれません。
そうなれば、今以上に残酷な分断が生じるでしょう。


診断という枠が広がれば広がるほど、揺り戻しが起きるのも、今までと同じです。
今のHSPというのがそれでしょう。
なんとか症候群は出ては消えの繰り返しです。
結局、過敏さの根っこを辿っていけば、そういった人種が突然現れたのではなく、前庭覚や聴覚、皮膚の未発達だったり、愛着形成の不具合、つまり神経発達と繋がっていくと感じます。
10年後、20年後も、自閉症や発達障害のように、その症候群の名が残り続けるとは思えません。


現在の診断は行政サービスへの通行手形のようになっています。
支援者や先生が、あたかも住民票をとってくるかのように、「診断を受けて来てください」と言われるくらいです。
その重さ、ニュアンス、質感がだいぶかわったような印象を受けます。
でも、ここで浮かんでくるのが、「そもそも診断ってなんのためにあるのだろう?」という疑問です。


最初に自閉症に気づいた医師も、今のような診断基準を作った専門家たちも、行政サービスの通行手形をイメージしていたのではないと思います。
たぶん、症状でグループ化することは、治療に繋げるためのはずです。
虫の分類のように、当事者の人たちを「当たりはずれ」と表現する医師はもっと後になって生まれた人達だといえます。
そうやって共通する症状で、特定の診断名をつけたのは、診断名をつけることによって「この障害には、こういった治療が有効」というのを見出したかったからでしょう。


で、ここで新たな疑問が浮かび上がるのです。
「自閉症には構造化」「発達障害にはSST」「知的障害にはABA」といった具合に、診断名とここでいえば治療法ではなく対処法を結びつけようとする動きがありました(今も?)。
でも、あくまで対処法ですので、診断名とマッチするようなシロモノではありません。
そもそも治療ではありませんので、同じ自閉症という診断でも合う人、合わない人、必要な時期といらなくなる時期があります。
例えるのなら、「40代からの保険」「膝が痛くなったらコン〇ドイチン」「ファイト一発オロナミン〇」みたいな感じ。
必要な人には必要がある、効果がある人には効果があるみたいな広告と一緒だと思います。


結論から言えば、有効的な治療に繋がるための診断はないんですね。
薬についても、診断名によって使える薬が決まっていますが、その薬が有効かは別問題です。
あくまで「ADHDの人に使えますよ」というぐらいなもの。
ですから、日本という社会の中では、日本得意(特異?)のお墨付きというやつで、ある意味、福祉という国への通行手形になっているんです。
なので人が作った仕組み、制度、ルールってやつですね。
治療法がないのに診断する意味ってある??


症状を、発達を細かく切り刻んでいけば、なにかしら不具合が見つかるはずです、どの人も。
「あなたも私も発達障害」はある意味、正しい。
ですが、生活に不具合が生じている時点で違いがあるのだと思います。
発達の凸凹があって崩れている状態と、調和がとれている状態。
発達の凸凹が発達の初期にあり、他の発達に影響を及ぼしている状態と、根っこではなく枝葉にある状態。
育ちきる前と育ちきったあとの状態。


有効な治療法と合致するレベルまで、症状と発達を細かく分け、「〇〇症」という名が付けられれば、始まりの専門家たちのような想いが達成されると思います。
しかし、神経発達症に関しては、その可能性は限りなくゼロに近いはずです。
たぶん、症状と発達を細かくしていくと、グループができる前に、個人と行きついてしまう。
神経発達のバリエーションの一つとして、その個人に支障が生じているのですから、結局、自分自身でより良く育つしかない、育てるしかないのです。


現在、神経発達症における有効な治療法も、治療薬もありません。
あるのは、名を変え、手を変え、品を変え、残り続ける特別支援ビジネスです。
ビジネスでやっているのですから、彼らが喜ぶのは「使い続けてもらうこと」
生活に出ている支障を今、ラクにしたいのなら有効なのかもしれませんが、明日も、明後日も、1年後も、10年後も、根本が解決しない限り、支障や不具合と付き合い続けることになります。


神経を育てるには近道もなければ、単に真似すれば良いという方法もありません。
あるのは、その個人がよりよく育つこと。
隣の子に有効だった育て方が、我が子の育て方に有効なわけはありません。
身体が違えば、神経も、環境も、成育歴も、遺伝子も、まったく違います。
自閉症の子に有効な育て方がないように。
試行錯誤しながら、根本的な解決を目指していく、全体的な発達、成長、伸びを目指していく。
そこに診断名や特別支援ビジネスが入り込む余地はないのです。




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