2016年9月20日火曜日

宗教と自閉症

以前から、自閉症の人の中にいる「宗教にハマる人」「熱心な信者になる人」の存在に気が付いていました。
別に、自閉症の人の中に特定の宗教を信じる人がいてもおかしいことではありません。
でも、その人達の様子を見ていると、一般の信者とは信仰の仕方に違いがあるように感じます。
「生き方の指標」として宗教を求めている、という点は同じなのでしょうが、そこに主体性が感じられないのです。


「宗教と自閉症の人」という文字を思い浮かべると、「指示と自閉症の人」と連想されました。
自閉症の人が宗教にハマりやすく、熱心な信者になるのは、そこに明確な指示があるからでは、と想像します。
「〇〇を食べてはいけない。〇〇をしてはならない」
「毎週、礼拝しなさい。そうすれば、幸せになれるでしょう」
「あなたが不幸なのは前世の因縁。この壺を買えば、それを振り払えます」
やるべきことが、とってもわかりやすい。
余計なことを考えなくても済むし、「幸せ」など、抽象的な概念が具体化されている。
ですから、自閉症の人と言いますか、自閉脳と相性が良い気がします。
定型発達の人が心の迷いで宗教を求めている一方、自閉症の人が脳の迷いから宗教を求めているように感じることもあります。


自閉症の人と向き合っているとき、「信じるものは救われる」の眼差しを感じることがあります。
「どうすれば良いですか?」「どれを選べば良いですか?」「まず何からしたら良いですか?」
こんなとき、私が「A」と言えば、Aの方向へと突き進んでしまう怖さを感じます。
ですから、こんなときは予定を変更し、心身を整える活動と情報の整理を行います。


外から見れば、「何で、あの支援者の言うことを信じているんだ!?」と思うことがあります。
現実が求めている方向へと変わっていかなくとも、「〇〇さんの言っていることは絶対です!」と信じてやまない人がいます。
その人の主張を聞けば、どの支援者から支援されているかがわかることがあります。
現実が変わらないのは、言っていることが合っていないか、自分自身が変わっていないかのどちらかです。
自分たちの外側に存在しない原因を見ようとするのは、お金の匂いがする宗教のようです。
「社会の理解ガー」には、同じ匂いがします。


親御さんの中にも、同じような雰囲気を感じることがあります。
「とにかく視覚的構造化」「とにかくABA」「とにかくPECS」「とにかくSST」「とにかく〇〇という支援者」・・・。
宗教がすべての課題を解決しないように、特定の療法、支援者がすべての課題を解決するわけはありません。
それなのに、特定の療法、支援者“だけ”を信じ、行動してしまう人がいます。


でも、このような人には自閉症の人の信仰と違う匂いを感じます。
何故なら、親御さんの多くは本能的に知っているから、特定の療法、支援者だけではうまくいかないことを。
このような親御さんからは、自分自身を騙している、自分自身に暗示をかけている姿が透けて見えます。
つまり、手抜きをしているのだと思います。


本来なら、いろんな療法、アイディア、支援者を求め、集め、その中から取捨選択し、我が子に合った支援をカスタマイズする必要があります。
またそれには、親御さん自身が目と耳と…五感を使って子どもと向き合わなければなりません。
というのをわかっているけれど、できない、するエネルギーがない、気力がない状況。
その状況から目を背けようとすればするほど、特定の療法、支援者に対する信仰心が強くなるような気がします。
自閉症の人の脳が「心地良さ」から信仰心を高めていくのに対し、このような親御さんの脳は「騙されよう」と信仰心を高めているように思えるのです。


いずれにしても、外側ではなく、内側に“信”を確立することが課題の解決、成長への第一歩。
そのためには、“芯”を確立する必要があり、“脊椎”を育てていくことが大事ではないでしょうか。

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