「とりあえずビール」みたいな「とりあえず特学」という掛け声

「学校の授業についていけなくなって…」
「じゃあ、特別支援学級ですね」
「クラスの友達とトラブルが絶え…」
「じゃあ、特別支援学級ですね」
「学校を休みがちで、不登…」
「じゃあ、特別支援学級ですね」

こんな話を聞くたびに、飲み会の「とりあえずビール」を連想してしまいます。
なんかあると、「とりあえず特学へ」って。
その学級でやること、やれることはないの??
一昔前の「特殊学級」から名称も変わり、勧める方も気持ちの上でのハードルが下がったような気もします。

同級生がたくさんいる教室では授業に集中できない。
教室内の刺激が多すぎて、それだけで疲弊してしまう。
一斉授業では、先生の言ってることがわからない。
だから、特別支援学級で学んだ方が良い、というのなら分かります。
「子どものより良い学び」と「将来の可能性の広がり」という核の上に、大人の事情が覆いかぶさるから嫌悪感につながるのです。

あと1人在籍数が増えれば、臨時の教員、補助員を雇える…っていうのは、学校の都合です。
通級より特学の方が入りこみやすい…っていうのはギョーカイの都合です。
担任の先生が「できれば特学に」って思うのは…わからなくもないです。
実際に仕事として通常学級の担任はしたことがありませんが、学生時代、2回、2ヶ月ほど、教育実習で入りました。
正直、40人学級の中での一人に個別対応は難しいです。
「一人の子に合った教育を」と思えば、残りの39人が…、「39人を中心に」と思えば、その一人の子が…ってことになります。

でもだからこそ、特別支援コーディネーターなんでしょうが、実力以外のところで担当が決まっていたり、反対に実力で決まっていても、「自分より年数の若い教師の言うことなんか聞かね~」という態度の教員がいたり、「不登校も、家庭のトラブルも、全部コーディネーターに渡しちゃえ」って手一杯にさせちゃったりするから、結局、担任は孤立するし、「できれば特学へ」って思っちゃうのでしょう。
とにかく人員の確保とか、行政に提出する実績数の確保とか、連携がうまくいかないとかは大人の都合だと思いますね。

あと許せないのが、現在、特別支援学級で学んでいる子達の学びをないがしろにしている感があること。
1人仲間が増えて、それですぐに先生が増えたり、クラスが増えたりするなら良いですが、そんなにスムーズに事が進むわけはありません。
生徒が1人増えるということは、刺激が増えるということですし、それに伴う環境の変化、授業の見直しは当然ありますし、先生との個別学習の時間も減る場合も出てきます。
子ども達は温かく迎えるかもしれませんが、「通級で頑張れる子は頑張ってよ」っていう意見が出るのも自然だと思いますね。
「みんな落ち着て学んでいたのに、1人増えてから…」なんて話は、珍しい話ではありません。
「通級で難しかったです。だから、特学に来ました」では、転籍する子の学びも、特学に在籍していた子の学びも守られていないのでは、と思っちゃうのです。

「養護学校(現特別支援学校)の方が、先生たくさんいるから、こっちにしました」なんて言う親御さんがいて、ビックリしたことがあります。
いやいや、お子さん、特学で学べるし、というか、頑張れば通級でも学べるし、学校は介護施設ではないし…。
より個別の教育が必要な子の分を貰ってないかいって思いましたね。

学校って、子どもが学ぶところだから、その子の学び方にとって、その子の未来にとってベターな選択をしてほしいですね。
大人は「とりあえずビール」と言いますが、子どもは「とりあえず好きなもの」を頼みます。
「とりあえず特学」の前に、何故、在籍学級で学べないのか、どうすれば学べるようになるのかを検討してもらいたいですね。
子どもの声を聞かずに、勝手に注文してはいけません。
子どもが食べなかった料理は、最後には大人が食べなければいけなくなりますから。

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