2016年9月2日金曜日

障害者として見て欲しいの?障害者として見て欲しくないの?

一般の人達に受けが悪いのが、一部の発達障害の人が言う「私は見えない障害ですから」って主張。
「できそうに見えても、できなくて困っていることがあるんです」
「怠けているわけではないんです。支援が必要なんです」
と言われると、一般の人はそうかと思い、大目に見たり、手伝ったりしようとします。
でも、その一方で「あまり仕事をさせてくれない」「障害者枠ではなく、一般の人と同じように働きたい」「なんでも手を貸して、私を障害者扱いする」って言う人もいます。

ある企業の方が言ってました。
「障害があって大変なのだろうと思うのですが、どうしても都合が悪いときに“障害”って言葉を使っているように見えるんです」と。
雇う側は、その人に期待する仕事の種類、量、質があります。
期待に応えるために「こんな配慮があれば」と言うのなら分かりますが、「障害があるから応えられません」というのは受け入れづらい主張になりますね。

以前、私が関わっていた人で、周囲に障害のことを伝えず、一般の人として働いている人達がいます。
その中の一人の若者は、「私のこと、誰も障害者として扱わないのが嬉しい」と言っていました。
また、ほかの若者は、「苦手な仕事もあるけれど、同じお給料を貰っているのだから頑張る」と言っていました。
高校時代から関わっていた学生さんは、大学に入学する際、「障害のことは言わず、一人の学生として大学に行きます」と言って進学しました。
彼らの話を聞いていると、障害者としてではなく、一人の人間として成長し、社会に羽ばたいていくことを望んでいるのだと感じます。

発達障害は、発達しない障害ではありません。
ですから、私は彼らの持つ障害は、改善させる対象であり、治す対象であると考えています。
そのための発達援助こそが、支援者の求める支援ではなく、本人たちが求める支援だと思っています。
こういうことを言うと、当事者の人の中には障害がなくなることに拒絶反応を見せる人がいます。
でも、それって「一人の人間として勝負するのが怖いよ~」「できない理由の一つがなくなるのが嫌だよ~」とも見えるのです。

別に困難が改善し、障害が治ったと言える状態になったとしても、それまでの努力や頑張りはなくならないと思うんです。
周囲から「障害持っているように見えないね」って言われても、それは過去に困難や苦しみがあったということの否定ではありませんし、むしろ自分が頑張り、成長できたという証拠だと思います。
自分自身が一番、自分の辛さと頑張りを知っているのですから、「障害持っているように見えないね」という言葉や態度は、ポジティブなメッセージとして捉えた方が良いと思いますね。
そう言ってくれた人は、“障害”ではなく、“あなた”を見ているのですから。

0 件のコメント:

コメントを投稿