2020年7月9日木曜日

【No.1082】発達は前にしか進まない。だから子も、親も、前に進む

「療育を受けられるのなら、死んでもいぃ~」みたいな親御さんって、10年前くらいまでよく見かけたものです。
いや、大袈裟じゃなくて、本当に。
生活すべてが"療育のため"みたいな感じで、家庭のことは二の次、三の次。
今の親御さんはビックリされるかもしれませんが、結構このことでもめて離婚する家族もいました。
コロナ離婚じゃなくて、療育離婚。
「夫が療育を受けることに理解がない。協力的ではない。だから別れた」なんて言われるのを私も聞いたものです。
今振り返れば、それもまた療育、支援、特別支援の副作用だったような気がします。


この「療育を受けられるのなら」みたいなのって、他のアプローチが知られていなかったことが、療育を受けても根本的な解決にはつながらないことが、今のように周知されていなかったという理由もあるのだと思います。
でも、それ以上に、親御さんから伝わってきたのは、無力感からの解放です。
親御さんにとって一番つらいのは、耐えられないのは、子どもさんに発達障害があることではなく、親として、家族として何もやってあげられないという無力感だと思います。
「いやいや、療育や支援を受けるために頑張っているじゃないか」という声もありますが、そこは本質的な部分ではないと思うのです。


親御さんとお話ししていると、「毎日、頑張って療育に通っているけれども、なにか満たされない気持ちがある」ということをお聞きします。
同じように、良いと言われている早期診断・早期療育を受けても、検査を受けて詳細なデータを貰っても、権威ある大学病院・有名支援者のところに通っても、なにか気が晴れない。
たぶん、それは子育てではなく、また子どもの発達を後押しすることにつながっていないからだと思います。
良いと言われているこれらは、親じゃなくても、家族じゃなくてもできることです。
たとえば、私が依頼され、お子さんを連れていくことはできます。
で、得られる結果は同じ。
そのことに無意識的にも気がついている親御さんは、心にもやっとしたものが残るのだと思います。


発達相談で私が出会う親御さんの中に「何が何でも我が子を治してやる」みたいな人はほとんどいません。
治す方向で共に歩んでいるけれども、そこが目的ではない。
やっぱり親として、家族として、やれることを知りたくて、やれることをやりたいんだと思います。


前世代の特別支援はまさに「やれることはない」というメッセージに溢れていました。
「親としてできることは、より早く診断を受け、より早く療育を受けることである」
「イメージしているような普通の子育てではなく、特別な子育てが求められる」
「親よりも、支援者の役割を」
実際に、そのような言葉を言われた親御さんは少なくありませんでした。
「親になることを否定された感じがした」
「あなたには何もできないと言われた感じがした」
そうやって涙ぐむ親御さんにもあってきました。
子どもの未来を否定されたうえに、親としての可能性までをも否定される。
想像しただけでも、どれほど辛い出来事だったかと思うのです。


発達の本質は未来です。
アイディアとして『退行』や『発達のヌケを育て直す』というものがありますが、発達は後戻りしません。
積み上がったものが消えてなくなることはなく、やったらやっただけ糧になります。
もちろん、ピンポイントでヌケが埋まらないこともありますが、発達に後戻りはなく、無駄も無い。
そういった流れをみれば、誰よりも我が子を詳細に、丁寧に見て関われる親御さんの力を活かさないなんてあり得ません。
親として、家族として、前に進もうとする力を活かすことが、子どもさんの発達を前に前にと進ませる力となります。


発達が凸凹している。
だけれども、その凸凹は固定されたものではなく、生涯変化し続けるものです。
ある若者は「この年になって初めて世の中が立体的に見えるようになった」と喜んでいました。
発達は前にしか進まないから、ある段階を過ぎれば、治るのは当然です。


身体アプローチ、言葉以前のアプローチには、親御さんの無力感を解き放す力もあるのだと思います。
また支援者として、本人だけではなく、親御さんにも「ここが育てられる部分。ここが手助けする部分」といった丁寧な仕分け作業を行うのが役割だと思います。
そういった意味で、誰でもつけれる、誰でも同じ結果のアセスメントではなく、個々に合わせた、その子個人を大切にするアセスメントが必要なのです。




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