2020年7月2日木曜日

【No.1078】家族とつながり、子の内側から発達を見る

本州のご家族のもとへ伺うと、「大久保先生」と呼んでくださることがあります。
本州から見れば、北海道は遠い印象なのでしょう。
ですから、「わざわざ遠くからはるばるやってきてくださいました」という意味で、先生という敬いが付くのだと思います。
私からすれば、道内を回るより、飛行機でシュッとひとっ飛びですから、ラクなのですが(笑)
しかし、最後までこの「先生」が付いたときには、「今日の発達相談は失敗だったな」と反省します。
途中から、もちろん、ベストは最初から、さん付けで呼ばれるようでなければダメなのです。


どんな素晴らしい知識、技術、方法だとしても、それが伝わらなければ意味がありませんし、何よりも実際にやらなければ、どうしようもないのです。
たとえば、首を育てるアイディアをお伝えしたとします。
でも、そのとき、「はい、わかりました」で終わって、そのとき、一緒にやってみて、その後、家庭でやらなければ何も変わってはいきません。
首の未発達を抱えたまま、同じ日々が続いていきます。


また、知識、技術、方法を伝える際、受け手が窮屈になるような伝え方をしてもいけません。
これは私の過去の失敗でもあるのですが、具体的、かつ詳細に伝えたばかりに、受け手の親御さんが忠実に再現しようとしてしまったことがあります。
当然、未発達の部分が育ってはいくのですが、発展していかないのです。
治ったけれども、治り切らないといった感じでしょうか。
他の親御さんですが、「次はどうしたら良いですか?」と数週間、1ヶ月単位で尋ねてこられる方もいらっしゃいました。


発達相談、援助において、そのアイディアの伝え方が難しいところです。
親切丁寧に、そして何よりも具体的に伝えることは大事ですが、そこで発想が止まってしまうようではいけないのです。
私との時間が終わったあと、私が帰ったあと、「あんな方法も良いかも」「こうした方が、うちの子には合っているかも」という具合に、自由な連想が始まっていくようでなければなりません。
実際、治すご家庭はたくさんありますが、治しきるまでいけるご家庭は少ない気がします。
その違いが、この自由な発想、連想が出るか出ないかだと感じています。


今の子ども達は違うのでしょうが、昭和を生きた私達は、「先生」という言葉に対するパターンが染みついているものです。
「先生」という言葉には窮屈さが漂っていますし、その窮屈さは、先生の意図した答えを正確に出す、というパターンからきています。
ですから、私の発達相談が終わっても、先生という呼称が付いていると、問題であり、失敗なのです。
私の伝え方が、雰囲気が、ご家族に窮屈さを生んでしまっている。
そして私が帰ったあと、伝えた内容を忠実に行おうとする、行うことが善であるという危険性をはらんでいる。


私が意識しているのは、素人っぽさです。
実際、まだまだ実力不足の私ですから、素人に毛が生えたような者なのですが(笑)
とにかく素人の私が、四苦八苦しながら、悩みながら発達の課題を確認し、その育て方を考えていくような感じ。
イメージで言えば、施設職員時代、わからないことだらけで、うまくいかないことばかりだったけれども、子ども達と一緒に生活し、どうにかより良い明日が迎えられたら、と願う姿です。
そういった素人っぽさが、親御さんの今、子育てに悩まれている状況とつながり、一緒に試行錯誤していくような、「なんだ、こういう風に見ればいいんだ」「なんだ、育て方は一つじゃないんだ、もっと自由なんだ」と思ってくれるような感じで伝わってほしいな、と思いながら私は仕事をしています。


この仕事は、自分ではなく、「子の人生」という強い想いの親御さん達と関わる仕事です。
なので、熱心な親御さんほど、切羽詰まっている親御さんほど、発した言葉が重くて強く伝わってしまう可能性があるのだと感じます。
ですから素人っぽい雰囲気は持ち続けないといけませんし、私が四苦八苦するプロセス、どうしてその育て方が良いのか、という種明かしもしっかり伝えていく必要があると考えています。


また親御さんの中には、厳密に捉えがちの人がいるのも当然です。
ある人は「親御さんにも自閉症の特性がある人は、そうしがちだ」と言っていましたが、私は真逆のことを思います。
お子さんと同じ特性を持っている親御さんのほうが、自由な発想で子育てを展開されていく。
むしろ、自分とはかけ離れていると感じている親御さんのほうが、戸惑い、専門家の言葉を忠実に実行しようとする、と。


親である自分と似たところがある、自分も昔そうだったな、と思う親御さんは、自分の赤ちゃんからの積み重ねの中に発想の材料があるものです。
「他にも、こんな育て方があるかも!」という発想が浮かんでくる親御さんは、歩んできた道の中に試行錯誤した経験があるように感じます。
そういった部分で困ってこなかった親御さん、つまり、自分に特性が少なく、定型発達ということを意識すらしてこなかった親御さんは、いざ、我が子の発達の遅れ、ヌケと向き合ったとき、身体に力が入ってしまうのだと思います。
それが支援者の言葉を過剰に強く受け取ってしまう要因の一つになっているような気がします。


「神経発達症を治す」という同じ方向で日々頑張っている親御さんであっても、他の親御さんの状況や思考まではわからないものです。
ですから、同じアイディアを見聞きしても、捉え方が異なるのです。
「教わった通りにやっているのだけれども、なかなか治らない」と悩む親御さんがいます。
「他のお母さんのように、いろんな取り組みをしたいのに、子育てを楽しみたいのに、私にはそれができない、余裕がない」と悩む親御さんもいます。
そのような親御さんを見て、「もっと自由に、楽しんでやればいいのに」と思う親御さんもいます。
そのような親御さんのヒントになれば、と思い、今日のブログを書きました。


ポイントは、繋がること、重なることです。
支援者は、家族と繋がること、お子さんと重なることを通して、本人の望み、訴え、行動の背景を感じ、家族と同じ目線でより良い子育てを考えていく。
一緒により良い子育てを考えていくことが、親御さんの自立と自由な発想につながり、結果的にお子さんが治ることへとつながっていく。
知識、技術、方法を与え、受け取る関係性の中には、治るが存在しません。


そして親御さんは、我が子とつながり、我が子の内側から発達を、課題を見ることが大事だと思います。
客観的に、外側から子どもを見ても、発達、課題は見えてはきません。
見えないからこそ、専門家の言葉にすがってしまうのかもしれません、大きく捉えすぎるのかもしれません。
そういった意味で、自分にも似たような特性がある親御さんは、より自由になれるのでしょう。
我が子と自分が重なり合うから。
重なり合うと、過去の自分の経験の中から新たな発想が生まれてきますので。


ということで、7月にお会いする皆様、素人の兄ちゃん(?)、おじさんが来てもがっかりしないでください(笑)
一緒に悩みながら、そのプロセスも味わいながら、子どもさんのより良い子育てを考える楽しい時間が過ごせれば、と思っております。
どうぞよろしくお願いいたします。




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