2020年7月4日土曜日

【No.1079】いくらアセスメントしても、本人の生活の質の向上につながらない理由

支援者は大抵、アセスメントを叩きこまれます。
1にアセスメント、2にアセスメント、3にアセスメント、という具合に。
他人を支援するわけですから、また自閉症やADHDなど、特性を持った人の支援をするわけですから、当然、相手のこと、障害のことを知らなければ、どうにも始まりません。
私も新人の頃、自閉症などの診断基準を暗記するように言われたものです。


支援者の仕事は、アセスメントをし、支援を組み立て、評価する、そしてまたアセスメントをして…の繰り返しです。
食事や排泄、生活全般の支援は、支援じゃなくて介護になります。
支援者は、本人の生活の質が向上するような支援を考え、実行する人達。
そのためには、その人のことを多面的に、立体的に見る目が必要になってきます。
本人のことを見ていない人に、支援はできない。
だから、特別支援の世界に支援者は少なく、介護者ばかりなのでしょう。


「ちゃんとうちの子を見てくれているんですか!?」と言う親御さんに、「はい、ちゃんと見ていますよ」と返事をする支援者、先生たち。
親御さんは、子どもの小さな変化を捉えられているかという目について問いており、支援者は「(怪我しないように)(表面的に)見ていますよ」と答えている。
ここに、本人の生活の質が向上するための目と、ただ見ている目の違いが生じているのです。


支援するための目を持たない支援者は、「今」「そのまま」「表面」を見るだけで終わってしまっているので、終始介護しかできないのでしょう。
だけれども、それは支援者の資質だけの問題ではないと思っています。
私も受けた支援者育成の方針、システムの問題だといえます。
1にも、2にも、3にも、アセスメントという育成の仕方。


確かにアセスメントは重要です。
でも、特別支援の世界で言われるアセスメントに問題があるのだと思います。
アセスメントと言うと、診断基準を覚える、障害特性を覚える、本人たちの行動を記録する、検査を行う、検査結果から読みとる、専門書&論文を読み込む…という具合です。
何が言いたいかと言えば、「すべて言語化されている」ということ。
特別支援の世界のアセスメントとその育成のほとんどは、言葉を介して行われている。
ということは、言葉に表現できない部分は扱われていないということです。
特に発達障害の場合、その課題の根っこは、言葉を獲得する前の段階、胎児期から2歳前後に生じた発達のヌケ、遅れなのですから、そこを言葉のみで伝えよう、学ぼう、表現しようとしても無理な話です。


言葉で表現できるアセスメントなんて、本人のごく僅かに過ぎません。
この辺りがわかっていないと、必死に診断基準や検査結果、専門書&論文から学び、アセスメントをしようとしてしまいます。
言葉にならない本人の状態、発達、課題の根っこがわからないからこそ、言葉に頼らざるを得なくなる。
「それって、〇〇くんに合わせた支援じゃなくて、典型的な自閉症像に合わせた支援ですよね」という話がたくさんです。
今もなお、昭和、平成から続く典型的な自閉症像が言葉によって引き継がれている。


支援者はアセスメントを重視します。
ですから全国どこでも、独自のアセスメントシートを作り、アセスメントをしていきます。
支援者はアセスメントシートを埋めた時点で満足感と達成感を得る。
「こんな検査結果が出ました」と、ルンルンで親御さんにその紙を見せる。
でも、1ミリも役に立たない。
だって、言葉に表現できる部分は本質ではないから、本人の課題の根っこではないから。
事業所で見えた我が子の姿は、家庭で見せる姿の一部。
その一部を見せられても、見えている部分は私も見えているし、じゃあ、今後どうしたらいいの?課題の本質はどこなの?に対する答えは記されていないもん。


発達は見ることができません。
言葉で表現するのも難しいものです。
だからこそ、それができる支援者を見つけることが大事ですし、そういった支援者を育てていかなければなりません。
本人の生活の質の向上につながるような支援ができる支援者というのは、言葉で表現できない部分を見ることができる人です。


でも、これは親御さんにもできます。
親御さんは胎児期から共に生きていますので、感覚的に捉えることができるものです。
そこら辺の支援者よりも、ずっと深いアセスメントができています。
しかし、その状態をキープできる親御さんが少ない。
何故なら、言葉でがんじがらめにされるから。
健診も、診断も、教育相談も、発達相談も、すべて言語化されたやりとり。
誰一人として、その子の発達の流れを見てくれるわけではなく、表面から見える姿で判断している。
他人に見える部分は、親御さんにも見えている。
本来、親御さんが感じている発達と課題に対して、「そうですよね」「そこがポイントですよね」と共に感じ、一緒に本質的な部分を見てくれる人が必要なのです。


本やネットなどで情報を得るときも、その文字にフォーカスし過ぎてはいけません。
その文字、発言に漂う雰囲気を感じるのです。
その著者、専門家が何を見ているのかを想像する。
決して表面的な目に見える部分だけを言っているのではありません。
表面しか見えていない人に、その子の発達を掴むことも、後押しすることもできません。
文字にフォーカスし過ぎる親御さんが、書かれていることをそのまんま我が子にやって、よろしくないことが起きている場合が少なくないのです。


支援者が目の前にいる人を多面的に、立体的に、それこそ、見えない部分まで見て支援した結果がそれです。
なので、親御さんも、そういった支援者のように見えない部分まで感じながら、お子さんのことをしっかり見ることが重要だといえます。
見るには、見えている部分と見えない部分、両方を見る、という意味があります。
両方が見えると、支援者の提示するアイディアの意図がわかり、子どもさんに合わせて自由自在に作りかえることができるようになります。
見えない部分を感じる力、想像する力が、アセスメントには必要なのです。




0 件のコメント:

コメントを投稿