2020年7月15日水曜日

【No.1083】求めてくる関係性から治す人か、治せない人かを見る

新大阪から伊丹空港へ向かうバスに乗ると、隣の席にご年配のグループが後からやってきました。
ツアーかどうかまではわかりませんでしたが、みなさんで地方へ旅行に行くようです。
「わしら、コロナが終息するのを待っとったら、生きてるか分からんしな」とある男性が言うと、グループの仲間もそうだそうだと大笑い。


移動した先でコロナの発症者と出会う確率。
出会ったとして、その発症者と自分が濃厚接触者になる確率。
濃厚接触者になって、自分が発症する確率。
自分が発症し、そこから重症になる確率。
重症になったあと、回復しない確率。


そういった確率を掛け合わせ、宝くじで億万長者になる確率よりも低い可能性と、自分の人生をよりよく生きようとするための選択。
「1年の自粛、2年の自粛」
そんなことを許容できるのは、1年後も、2年後も、生きているという前提があるから。
ご年配のグループのかたじゃなくても、そう、私だって1年後、2年後、確実に生きているとは限りません。
人の生死をいつも見ている医療関係者だから、個人の想い、息づかいが見えなくなっているのかもしれないと思います。
誰のための自粛なのか、医療に個人の選択を規制する権利があるのか、医療従事者以外、一般の人には健康を保ち、病気から身を守ることができないとお思いなのか。


6月以降の出張では、みなさん、口を揃えて、こうおっしゃいます。
「このコロナ自粛期間中に、子どもがグンと伸びた」
南は行っていませんが、北も、東も、西も、どこに行っても、「家で過ごしているときが一番伸びた」とおっしゃっていました。


この理由はとてもシンプルです。
発達障害の子ども達の多くは、胎児期から2歳前後の発達過程にヌケや遅れが生じます。
この時期のヒトの発達というのは、主に1対1関係、または環境との関係性の中で育まれて行きます。
幼稚園や保育園などの集団生活の中で刺激され、発達する部分もありますが、そこが発達の遅れの根っこだということはあまりありません。
ですから、親子で濃密な時間が過ごせた自粛期間中に、根っこの育て直しが進んだのだと考えられます。


また商業施設等に行かなかった分、公園や自然の中で過ごす時間が増えた。
自然の中は五感を刺激しますし、何より自分の身体が遊び道具となります。
これまた胎児期から2歳前後で育てる部分とマッチします。
あるご家庭では、1年以上、療育機関に通っても変化がなかった部分が、この自粛中にクリアできたと言っていました。
1対1の関係性の中で、五感や運動を刺激する自然の中で、発達のヌケが埋まっていくのは当たり前なことなのです。


1対1の関係で言えば、親子なら良いのですが、支援者とはいけません。
1対1の関係は、感情を共有し、濃密な関係性を築くためのものです。
親子の濃密さは、子どもの心身の安定を生み、発達に向かうための力になりますが、支援者との濃密さは依存を生みます。
依存は、自立を阻む最も大きな障壁です。


ですから私は、発達相談において、1対1の関係性にならないように、そこを求められても濃厚になっていかないように注意しています。
あくまで私は、その子の発達課題を直接クリアする存在ではなく、クリアできるために共に考える存在でいようと心掛けています。
「私が治しましょう」ではなく、「より良い子育てを一緒に考えましょう」です。
対象が人ではなく、発達課題であり、より良い子育てになります。
治すのは本人、それを後押しするのは家族、アイディアを出すのが支援者。
ここのところを間違うと、治らないし、依存が生まれるし、自立からどんどん遠くなっていきます。


愛着障害を持つ支援者、治せない支援者というのは、この1対1関係を築こうとしますし、この関係性を築くことが支援である、仕事であるという大きな勘違いをしているものです。
やたらと親御さんに共感し、褒めたたえる支援者。
やたらと「子どものため」といって、手とり足とり、なんでもやってしまう支援者。
そういう支援者が一番自立を阻みます、親も、子も。
1対1関係は、その二人の間で関係性を深めるためのものですから。


このように言うと、「じゃあ、成人の当事者から相談があったとき、お前はどうしてるんだ」と言われそうです。
当然、本人と私の1対1ですので、自然と関係性を深める方向へと進みがちです。
しかし私との関係性を深めても、自立できませんし、発達のヌケは埋まっていきません。
ですからこういった場合にも、対象を「私とあなた」ではなくて、「発達のヌケ・課題」とします。
本人と私が結びつくのではなく、課題を通して結びつくのです。
そうすることで、本人の「私が自分の課題と向き合う、解決を目指す」という姿勢を妨げないで済むことができるのです。


医療の話に戻れば、医師の中にも、1対1関係で進めようとする人が少なくないような気がします。
「私と患者」の濃密な関係を築こうとし、本人の自助努力よりも、「私に従っておけ」という姿勢が見られます。
それが端的に現れるのは、発達障害の診断の際。
親御さんは子どもの発達の課題と解決を中心に関係性を結ぼうとするのに、それを拒否する医師。
だから、「この子は自閉症です」「療育を受けてください」「生涯、このままですよ」と、濃密な関係性で成り立つ、もっといえば、主従関係でのみ成り立つような無礼なことを口にしてしまうのだと思います。


ここには書けませんが、どれほど多くの親御さんが、診断時の医師の言葉に傷つき、苦しんできたか。
「何様のつもり」というエピソード満載です。
中には、その言葉で親御さんが精神的な疾患になった人もいるくらいです。
病院に行って、病気になってどうするんだ、って感じです。
親御さんは我が子に発達の遅れがあることよりも、専門家の言葉や態度に傷つくことが多い。


愛着障害を持つ人は、1対1関係を求めます。
ですから、本人も、親御さんも、支援者も、自立するためには治す必要があるのです。
親子での濃密な時間は、胎児期から2歳前後の発達課題をクリアさせますが、濃密な関係性のベースに愛着障害があれば、依存を生みます。
愛着障害を持つ支援者が、当事者の自立を阻むのと同じように、親御さんが我が子の自立を阻むケースも少なくありません。
そういった意味で発達相談のとき、他人である私とどのような関係性を求めてくるかで、愛着の発達状態を見ます。
愛着障害を治すほうが、発達のヌケを治すより優先すべきケースもあります。


今回のブログは、話があっちこっちに言ってしまいましたが、支援者を見抜くアイディア、「求めてくる関係性から見る」というお話でした。
今の支援者、過去の支援者、これから会う支援者を見抜くための視点としてお持ちいただければと思います。
あと業務連絡です。
今回の関西出張の報告書、郵便局で出してきました!




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