2018年10月24日水曜日

諦めさせるのは、支援じゃない

繰り返される激しい行動障害を目の当たりにすると、どこから支援していけばよいか、わからなくなり、いっそのこと、逃げ出してしまいたい、と思うことが多々ありました。
でも、施設職員を続けていく中で、気が付かされることがありました。
「この子達は、逃げだしたくても、逃げ出すことすらできない」のだと。


職員の入れ替わりは頻繁でした。
3年も続けていれば、ベテランみたいな役回りと扱いになります。
それだけ辞めていく人が多かった。
新人が入ってくれば、「この子は、いつまで持つか」なんていう音のない言葉が漂っていた。
次々に、職員は辞めていく。
でも、利用者の人達は、そこに居続ける。
本来なら、行動障害が収まり、生活が整い、自立するための力を養って、家庭や地元に帰っていくのが社会的な役割だったのに…。


施設職員として数年が経ったとき、気が付いたのです。
職員は辛くなったら、辞めることができる。
同じ福祉だとしても、ここ以外の場所はあるし、仕事を選ばなければ、いろんな選択肢がある。
でも、この子達には選択肢すらないのではないか、と。


当然、施設ですので、物理的にも逃げれないようになっています。
しかし、そもそも彼らに選択肢はなかった。
家庭や前の施設から離れた方が、心身が安定し、良かったと思える子達もいました。
でも、誰一人、望んで、自らの意思と選択で来た子はいなかった。
いくら措置制度から、契約制度に変わったとしても、子ども達の手の中に選択肢があったわけではなかったのです。


この子達に選択肢がなかったことに気づいてから、「逃げだしたらいけない」と、私は思うようになりました。
できることは少ないかもしれないが、しっかり向き合い続けようと決心したのです。
すると、以前は頭の中が真っ白になっていた大変な状況に、ある言葉が浮かんでくるようになりました。
どんなに激しい行動障害を持っていたとしても、「生まれたときは、強度行動障害ではなかった」という言葉です。


赤ちゃんのとき、幼児のときは、強度行動障害じゃなかったのなら、何かやりようはあるんじゃないか、環境によって行動障害が作られたのなら、環境によって良くしていくことができないだろうか。
そんな風に考えるようになりました。
そこから退職するまでの間、一度たりとも「逃げ出す」「諦める」という考えは出てきませんでした。


私は、発達障害の人達と関わる仕事をしてきて、一番心が痛むのは、以前の私のような「逃げ出す」「諦める」気持ちを持った人と出会ったときです。
本人が自分の可能性を、きっと良くなるという想いを、自分の人生を諦めていないのに、周囲の人間が諦めるなんてもっての外だと思います。
でも、実際は、「障害受容だ」「頑張らせない」「ありのままを受け入れよう」というきれいな言葉を使い、諦めている人が多い。


みんな、どうせ治らない、どうせ変わらない、どうせ福祉のお世話になるんでしょ、という想いを持っている。
だから、真剣にその人の課題と向き合おうとしないし、その課題を絶対に解決してみせるんだ、という熱意を感じない。
上辺だけの、その場だけの、表面的で取り繕われた対処療法をして、「僕は、支援をやってます」「私の子は支援を受けてます」と言い合っているように見えるのです。
「諦め」の気持ちをさとられないように。


今は、激しい行動障害があったとしても、過去は違った。
だから、未来も違う可能性はある、と思って施設職員をしていました。
その想いは今も続いていて、今、困難がある子も、今、言葉が出ない子も、今、知的障害が重い子も、未来は違う可能性はあるし、その可能性を信じて頑張ろうと思い、仕事をしています。


成人した方でも、長年、困難を抱えていたかもしれないし、今、自立できていないかもしれない。
でも、1年後、2年後はわからないわけです。
本人たちが、治そう、自立しよう、幸せになろう、と思っているのなら、その可能性を信じ、自分にできる応援をするのが、真の支援者だと思います。
知識を振りかざし、「今のあなたが、これからのあなただ」というような諦めさせ方をさせるのは、自らの利益のために動いている者。
ひと様を支援する者とは言えないのです。


数々の困難、課題をクリアし、治っていっている人達は、こういった諦めの雰囲気の中でもがいている本人たちの希望だと思います。
私は、そのような希望にはなれませんが、最後まで未来と可能性を諦めない他人もいる、というメッセージを姿勢を通して送り続けられたら、と思っています。


今、言葉が出ない、知的障害が重い、できないことがある、問題を抱えている、自立できていない、働いていない、がなんですか。
人間は常に発達し、動き続けている生き物なのです。
今までうまくいっていなかったのは、やり方が合わなかったのかもしれない、足りない部分があったのかもしれない。
そうではなく、じっと蓄え、大きな発達、成長を遂げるための準備期間なのかもしれない、しっかりとした根を伸ばしている時期なのかもしれない。


今の姿を求めるのは、諦めた人間と、「シメシメ、今の姿のままの方がありがたい」と思っている人間。
本人と家族は、今のままを求めているわけではありません。
悪い状態なら良い状態に。
良い状態ならより良い状態に。
育ってほしいし、歩んでいってもらいたいと願うのが親心。
そして、その道を歩んでいくのが、自分の人生の主人公である本人。


施設にいた子ども達に選択肢はなかった。
でも、誰一人、自分の人生を諦めようなどという想いの子はいなかった。
だから私は、その人が自分の可能性、未来を信じている限り、応援し続けようと思います。
諦めさせるのは、支援じゃない!

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