今を切り取った育みではなく、明日へ、未来へと続いていく育みを

開業当初から幼い子を持つ親御さんからの相談のほとんどが「言葉の遅れがあるんです」というものです。
「うちの子、なんか違うかも」という感覚は、みなさん、それよりずっと前に持たれています。
でも、「言葉が出ない」「同世代の子と比べて発語が遅れている」という我が子の姿、事実が、その違和感を確信へと変えるきっかけになっている場合が多いと感じます。
言葉の遅れが、親御さんを相談へと向かわせる一つの大きな出来事になるのは、今も、昔も変わりがないと思います。


相談や発達援助を依頼される親御さんの多くは、私のところに来る前に、公的な機関で相談、療育を受けられています。
当然、そこで言葉の発達が促されたなら、私のところに来るわけはないので、子どもさんや親御さんのニーズが満たされなかったということになります。


私の仕事は、発達のヌケを見つけ、言葉の遅れと繋がっている根っこを育て直すことですから、そういった公的な機関で、どのような相談や療育を受けたのか、敢えて知る必要がないものです。
しかし、どうしても話の展開として耳にすることになります。
もう最近では、なるべく聞かないようにしてるのですが…。


やっぱりここでも、時間が止まったまま、ずっと昔と同じことが繰り広げられています。
言葉が出ないから、たくさん話しかける、一音ずつゆっくり話すように促す。
まったくもって発達の視点が抜けた療育ですね。
言葉に課題があるから、言葉でどうにかしようとする。
これは誰にでもすぐに思いつくアイディアです。
そんなのは言われなくてもやっています、親御さんは。


一方で、「お母さん、気にし過ぎですよ」「男の子は、一人っ子は、そんなもんですよ」「成長は、一人ひとり違うから、焦らないで」という下手くそなカウンセリング。
そりゃあ、10年も、20年も前の世代の親御さん達には通用した手でしょうが、今の親御さん達はスマホで瞬時に情報を集めている世代ですよ。
相談機関に向かう前に、ネットで知識も、実際の子育て、当事者さんの様子も調べ尽くしている。
調べ尽くし、ヘタな支援者、相談員より情報と知識を持った親御さんに対し、気休めは通用しません。
ネットで得た情報と同じか、それ以下の支援者というのは、ただただ不信感を持たれるだけの存在になってしまうのが今の時代というもの。
これからどんどん淘汰されていく時代になるので、ギョーカイにとっては厳しい未来が、本人と家族にとっては素晴らしい未来がやってくると思いますね。


チンパンジーがしゃべらなくて、ヒトはしゃべる。
子どもが言葉を話すようになる前には、古今東西、今も昔も、共通した発達過程を通る。
この2点だけで、言葉をいじくりまわしても、言葉が出るようにならないのは明らかです。
大事なのは、言葉が出るように促すのではなく、言葉が出る身体に育てること。
言葉が自然と出るような身体に育っていないのに、無理やり声を出さそうとしても、お互いに辛いだけですし、遠回りもいいとこです。
足りないのは言葉ではなく、言葉を話す準備。


以前、「食事で発達障害を改善する」というアプローチを、全然治りも、改善もしていない人達が批判していたのを目撃しました。
目の前の子を良い方向へと導けない人達が批判するということは、もしかしたら「食事で発達障害を改善する」と言っている人の方が正しいかも、と思い、そこから情報を集め、勉強したことがあります。


そこでも感じたのですが、食事は生きる上でも、発達成長する上でも土台には違いありませんが、目指すべきド真ん中ではないということ。
つまり、何らかの理由から、発達障害の人が栄養素を十分にとり込めていない、吸収できていないことは十分に考えられることではありますが、じゃあ、栄養を十分に与えれば万事解決とはならないし、そこが目指すべきところでもないということです。
やっぱり栄養素を普通の食事からちゃんと吸収できる身体に育てることが一番ですし、偏食が合って栄養が偏っているのなら、それを治すことが先だと思いました。


偏食がある子はもちろんのこと、受精から現在に至るストーリーの中で「栄養」が連想できる子の場合には、食事のお話、アイディアを提案することもあります。
実際、自分が子どもだったら、その食事、栄養じゃあ、心身共に落ち着かないわ、というご家庭があるのも事実。
でも、私の捉え方、考え方としては、食事、栄養は、より良く神経発達を促すための補助。
大事なこと、私が目指す中心は、その子の神経発達を後押しすることで、生きやすい身体、学習できる身体、自立できる身体を育てていくことです。
生きていく上で土台となる身体をしっかり育てるためのアイディア、後押しの一つとして栄養がある、といった捉え方をしています。


言葉が出ることも、十分な栄養素をとり込むことも、今、必要なこと。
でも、受精から現在、そして未来という一人の人間の物語で見れば、それは部分であり、ゴールではありません。
大事なことは、その子の未来へと繋がる土台作りです。
土台がしっかり育つから、次の発達へと進むことができる。
土台がしっかり育つから、自分の人生を自分の足で歩いていくことができる。
未来の我が子に、言語指導も、配慮された食事も、サプリも、与え続けることはできなくても、言葉が出る身体、栄養をとり込める身体が育めれば、その子、自ら発達、成長していくことができます。


今を切り取った育みではなく、明日へ、未来へと続いていく育みを。
表面を見るのではなく、根っこを見る。
それこそが発達援助の中心であり、一番の近道だと私は考えています。

コメント

このブログの人気の投稿

【No.1358】体軸が育つ前の子と、育った後の子

【No.1364】『療育整体』を読んで

【No.1370】それを対症療法にするか、根本療法にするかは、受け手側の問題