2018年10月2日火曜日

そのエビデンスとは、科学なのか、宗教なのか

エビデンス原理主義の人達を見ると、どうしてそんなにエビデンスを気にするのかが、ずっと不思議でした。
多分、そのデータが意味するところよりも、宗教に近いんだろうな、と解釈していました。
そのエビデンスの元になる論文をしっかり読んでいる人はほとんどいないでしょうし、「誰それが言っているから」くらいなもんでしょ。
でも、ある本を読んでいて、それまでの私の解釈が違ったのかも、と思うことがありました。
多くの人は、「エビデンス=効果がある」と思っているのでは?と気が付いたのです。


学生時代、私は教育心理学が専門でした。
心理学ですから、統計についても学びます。
研究結果を評価するには統計学の知識が必要ですし、研究論文を読むのにも必要な知識です。
ちなみに卒論のテーマは、「生活習慣が心身の健康に及ぼす影響」というので、どういった生活習慣が、どのくらいの頻度から、心身へ影響を与えるのかを研究しました。
一言で言えば、生活習慣の中で、心身と関係があるものを探したのです。


こういった経験と知識は、就職してからも活かすことができ、いろんな「効果がある」と言われている療法の論文を読んで勉強することにつながりました。
今で言う「エビデンスのある療法」の元になった論文は、内容は違えど、学生が学ぶ基本的な統計学で進められたものがほとんどでした。
ですから、特定の介入と、介入後の変化の関連性を調べているのです。


とってもシンプルな表現をすれば、こうです。
Aという方法があります。
グループを二つに分けます。
1つのグループは何もしない、もう1つのグループはAという方法を行います。
結果、何もしないグループと、Aという方法を行ったグループに違いがあるのか?を調べます。
Aという方法を行ったグループに変化があって、それが偶然の違いじゃなければ(←ここで統計学)、じゃあ、Aという方法は、〇〇という効果があるよね、っていうこと。


私の卒業論文もそうでしたが、特定の方法や活動が、個人に変化を与えることは確かめられます。
でも、どうして変化が起きたのか、何が変化の元、理由なのかは分かっていないのです。
よくエビデンスが「科学的根拠」と表現されていますが、「全然科学的じゃないじゃん」「関係性があっただけしかわかってないじゃん」というもの少なくないのです。


観察する目と治す腕のない支援者というのは、エビデンスにすがるものです。
実際、目の前の人が発達、成長し、可能性を広げて自立できれば、それでいいのです。
そういった支援者は、「私のやる方法にはエビデンスがあるから」「エビデンスが無い方法は、インチキだ」と言います。
でも、じゃあ、その根拠、理由を尋ねて、答えられるか、といったら、難しいでしょう。


私が、「『エビデンスがある方法』と言われるが、どうして〇〇さんに効果があると言い切れるのですか?」と尋ねると、「だって、エビデンスがあるから」と返ってきました。
でも、「エビデンスがあるから」は、全然答えになっていないんですね。
だって、「その介入と介入後の変化には関係がある」と言っているだけだから。
関係があるのはわかったから、どうして〇〇さんに効果があると言い切れるのか、それを知りたかったのですし、それが分からないままじゃ、同意することはできませんね。


巷にあふれる「エビデンスがある方法」というのは、やると変化があるのはわかるけれども、どうして変化が起きたのか、本当のところは分かっていないものばかりなんですね。
しかも、その「関係性があります」と示された研究だって、欧米の会ったこともない子ども達に、発達障害の人達に「関係がありました」ということ。


先日書いたブログの内容の通り、住む場所が違えば、環境も、育ちも違うものです。
同じ日本でも、北海道と沖縄の子ども達の発達の仕方、適した発達援助の仕方は異なるはずですし、実際、私の感じ方、助言の仕方に違いがあります。
気候や風土、食べ物が、その子の発達と関係するのは当然ですし、同じ地域に住む子でも、もちろん、兄弟であっても、その発達の仕方、環境からの影響の受け方は違います。
なので、文化も、風土も、環境もまったく異なる欧米の子ども達、発達障害の人達、それも十人とか、数十人とかの単位で「この方法と、その後の変化には関係性がありますよ」と言われても、どこまで信じてよいものかと思いますし、目の前の人にそのまま当てはめて考えてはならないと捉えるのが妥当だと思います。


エビデンス原理主義の人達が、宗教を連想させるのは、そこにサイエンスがないからです。
科学的根拠というのなら、どうして効果があるのか、特に発達障害の人たちへの介入方法だとしたら、こういった理由で神経発達に影響を与え、結果的に課題が解決する、より良い発達へと繋がる、と明らかにできなければ、目の前の人に「絶対に良い」「効果がある」とは言い切れないのです。
ですから、ナントカの一つ覚えのように「エビデンス」「エビデンス」と言っている支援者が介入しても、全然良くならない。
挙句の果てに、「僕の療育方法はエビデンスがあるし、資格も取ったのにおかしいな」なんてモンダイナ思考になり、ちゃんと効果が出ないあなたが悪い、と本人や家族を責める始末。
本当の意味がわからないのに、「エビデンスがー」と叫ぶ人達を見ると、蟹の甲羅を借りるカニカマ支援者みたいです。


エラソーに「エビデンス」と言っている人達も、その意味が分からず、ただやっているのが現実です。
それだったら、何を信じ、どう行動するのが良いか。
その答えを知っているのは、自分自身であり、目の前にいる我が子。
自分が良いと感じる方法を、どんどん取り入れて、その人オリジナルの方法を創造していけばいいのです。
そのためにも、子どもの日々の変化をしっかり見つめつつ、いろんなアイディア、知見を求め、実際に手と足を動かすという行動を起こすことが重要です。


パソコン画面で検索してるだけでは、地域にある機関に外注しているだけでは、「エビデンスがあるって言ってたもん」と言って、自分の頭で考えずにただ特定の方法をやっているだけのおさぼりさん達と同じになってしまいます。
「治ったらいいな」「問題が解決したらいいな」では、何も変わっていきません。
自分で行動するから、子どもが変わっていく、家族が変わっていく、現状が変わっていく…そして未来が変わっていく。
そんなことを、勉強会が開催されれば、いつも全国から大勢の方達が集まってきて、終了後は参加者の皆さまの熱気と変化に包まれる様子を見聞きして、私は感じたのでした。

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