2018年10月22日月曜日

『自傷・他害・パニックは防げますか?』(花風社)を読んで

花風社さんの本が出版されると、私は必ず読みます。
本の中に、知識や情報だけではなく、希望が詰まっているからです。
私は今、発達援助で関わっている子ども達、若者たち、大人たちに不便なところは治ってほしいと思っていますし、開花した資質を自分の人生と社会のために活かしながら自立してほしいと願っています。
これは親御さんの想い、願いと同じだと思います。


だからこそ、「本人と親御さんのより良い明日と人生のために」という想いがあっての本ですから、素晴らしい著者の方達の知見だけではなく、そこに希望も感じるのです。
希望を感じない知見は、ただの自己満足であり、読み手の着想を生みません。
受け取った人の中でアイディアの自由な発展に繋がる動力は、花風社さんや著者の方達の希望という力だと思っています。


私は、多くの読者の方達と同じように、花風社さんの本から希望を感じます。
でも、それだけではないのです。
私は、新刊を手にし、読むたびに、希望だけではなく、後悔の気持ちに苛まれるのです。


新刊を読み、新しい知見、素晴らしい知見と出会うたびに、「これで、もっとその子に合った発達援助ができるかもしれない」と思い、「ああ、あのとき、あの子に、この知見があれば…」と思います。
私の言う「あのとき」は、施設で働いていたとき。
特に、栗本さんが著者である本が出版されるようになってからというもの、後悔の気持ちは強くなるばかりです。
施設で働いていた私は、対処療法しかできませんでした。
苦しむ彼らを見て、ただただ一緒に悲しむことしかできませんでした。
投薬の量が増えていく場面に立ち会い、彼らの想い、願いを代弁することができませんでした。


あのとき、言語以前のアプローチを知っていれば…。
あのとき、心身をラクにする方法を知っていれば…。
あのとき、四季を上手に乗り越えるアイディアを知っていれば…。
そして今回の新刊で教えてもらった身体作り、対応法を知っていれば…。
そうすれば、対処ではなく、育むことで、彼らの発達を支援できていたかもしれない。
そうすれば、彼らも、支援者も、お互い傷つかずに良い関係が築けていたかもしれない。
読み進める中、当時関わっていた子ども達の顔を思いだす頻度は、今回が一番多かったように感じます。


基本的に入所施設の職員の役割は、利用者さんの命を守ることと、生活介助です。
当然、生活介助ですから、いろんな生活場面で身体接触しなければなりません。
身体接触が必要な場面で、何より悲しいのが、利用者さんが身体を触らせてくれないこと。
特に、新入所できた方が、身体接触を拒む姿が悲しかった。
拒み方を見れば、それまでの人生で、どのような介助をされてきたか、がわかるからです。
どこに立たれるか、どこに触れられるか、で反応の仕方が一人ひとり異なります。
触れられた後の行動も。


自閉症や発達障害の人達、強度行動障害の人達が、身体に触られるのを嫌がるのは、「感覚の問題」と言われていました。
でも、現場の職員は知っています。
感覚面の問題よりも、どういった身体接触、関わられ方、介助のされ方をされてきたのかが大きく関係していることを。
初めて会ったはずなのに、私に向けられる「不信感」という眼差しが辛かったのを覚えています。


この本の中で、距離感、間合いについて記されていた箇所がありました。
こういった知識はありませんでしたが、拒絶する方との距離をどう近づけていくか、大丈夫だと思ってもらえるか、また行動障害の方とは、どの位置で、距離で関わるかを真剣に考えていました。
と言いますか、これが掴めなければ、支援ができないので、やらざるを得なかったのです。
もし心身の距離が縮められなければ、身体に触れることを受け入れてもらえなければ、服薬も、怪我の治療も、歯の仕上げ磨きも、入浴支援もできません。
そうなれば、施設職員が一番に守らなければならない利用者さんの命が守れなくなってしまいます。


本で紹介されました介助法を開発された廣木道心氏は、武道家であり、介護士であり、自閉症の子のお父様でもあります。
だから、単にテクニックではなく、その介助法には心があり、対話がある。
そして育みもある。
ここに一番、心が揺さぶられました。
素晴らしい希望と共に、深い後悔です。
施設職員だった私が一番知りたかったこと、望んでいたことは、彼らとの対話であり、育みだった。


確かに、経験年数が上がっていく上で、自分が傷つくことも、彼らが傷つくことも少なくなりました。
でも、私は月日が経てば経つほど、自分が嫌になっていきました。
「こんな施設職員になんかなりたくない」と、新人の頃から思っていた施設職員になっていったのがわかった。
利用者さんのことはわかるようになったけれども、対処療法はうまくなっていたけれども、対話と育みをどんどん失っていった。
利用者さんの人に対する不信感に溢れた眼差しが辛かったのに、もしかしたら自分自身がその眼差しを作る一人になっているかもしれないことに気が付きました。
だから、私はこのまま仕事を続けてはいけない、と思ったのです。


私は、この本から「対話」と「育み」を感じました。
副題にもある「二人称のアプローチで解決しよう!」という言葉に表されていると思います。
ですから、現在、自傷や他害、パニックと向き合っているご家族、支援者はもちろんのこと、子どもの発達、成長と関わっているすべての人に大切なことを教えてくれるように感じます。


自傷や他害、パニックという行動だけではなく、言葉や発信の問題から、周囲の人間に解釈される行動というものがあります。
見ている側がその行動の意図が分からないとき、不適切な行動、障害故の行動として制止されることがある。
だけれども、そんなときこそ、「対話」と「育み」の視点が大事なのだと思います。


「対話」と「育み」のある対応は、子ども達に不信感を芽生えさせないと思います。
人に対する不信感を育てるのは、対処そのものです。
療育を受ければ受けるほど、辛くなる本人たちがいるのは、そこに対話も、育みもない対処のみだから。
対処療法しかしないのは対話の拒否であり、そんな関係性に信頼など生まれるはずはありません。


是非、多くの方にも、著者の御三方の素晴らしい知見に触れられ、「対話」と「育み」のある子育て、支援に繋げていって頂きたいと願っています。
自傷や他害、パニック等、大変な状態にある人達のことを遠ざけるのではなく、見て見ぬふりをするのではなく、見過ごすのではなく、本気で考え、真剣に治したいと思う人達がいるということは、本人、家族、そして社会にとって希望です!


 
   
 

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