2018年10月10日水曜日

想像力の問題は、自立を妨げる本丸

いつも疑問に思うのですが、「治るなんてインチキだー」「トンデモだー」と言っている人、それは何を見て、そう言っているのでしょうか?
そうやって、見ず知らずの当事者の方や親御さん達のことを批判し、また治るという考えの元、発達援助、後押しをしている人達のことを、人を騙して儲けているかのように表現する。
それくらいの発言をしているのですから、それなりの覚悟と根拠があるのでしょう。


「治る」と言っている人達が、どのような育て方をしているのか、また「治った」と言っている人が、どういう人なのか、それを自分の目で確かめない限り、本当の意味で批判することはできないと思います。
というか、そういった確認をしないで、相手のことを調べもせず、ただ自分の考えのみで批判するのは、便所の落書きレベル。
本来なら、見向きもされないのが普通です。
でも、ツイッターとかで反応を貰っちゃうと、あたかも自分が正しいことを言っているかのように勘違いする。
何故なら、こういった自分の身体を通した確認ではなく、自分の頭の中で作った物語で生きているから。
つまり、想像力に問題があるから、勘違いを起こすのです。


昔、発達障害の子ども達は天使だ、なんて言っていた支援者がいました。
天使なんかであるものですか。
発達障害の人も、定型発達の人と同じように他人を傷つけることもある。
特に、想像する力の問題が、引き金になることが多い。
相手の気持ちを想像することの欠如。
自分勝手な脳内論理で善悪を判断し、独りよがりの行動を起こすことは珍しくない。
社会や周囲の理解よりも、この想像の問題が問題なのです。


支援者から「様子を見ましょう」と言われた経験は、どの親御さんもあることだと思います。
でも、その理由が「敢えて引き延ばすことで、自分たちの推奨する支援を利用してくれること」という本音を聞いたら、みなさん、どう思うでしょうか。
治る道を進む人、標準療育の道を進む人、そんなのは関係なく、どの親御さんも怒りがこみあげてくるのではないでしょうか。
自分の命を分けて生んだ子に障害があると分かったとき。
そして、その子の障害と向き合うことを決め、我が子のためにできることは何でもするという腹をくくり、頼った専門家が「様子を見ましょう」と繰り返す。


様子を見たいから、相談に行ったのではなく、何でもするし、したいから相談に行く。
「様子を見ましょう」という答えのない答えを聞くために、相談する親御さんなどいないはずです。
相談に行けるまでの心情の動きを想像するだけで、親御さんの悲しみや苦しみが伝わってきます。
完全に親御さんの心情を理解し、共感することはできなくとも、想像することはできます。
でも、もしこの想像する力に問題があったとしたら、そんな親心を踏みにじる行動をしてしまうのでしょう。
それがまさに自分の利益、自分の脳内論理のみで、引き延ばしをする行為なのです。


想像力の問題は、他人を傷つけることになり、またそれによって自分も孤立し、傷ついていくことになる。
極端なことをいえば、身の回りのこと、収入を得ること、移動や余暇のサポートは他人にやってもらうことができる。
でも、それだけでは、社会の中で生きていくことはできません。
想像する力が重要なのです。
そこに大きな問題があれば、自分をサポートしてくれる人がいなくなってしまうのです。


どこに他人のことを平気で傷つける人のことをサポートしたいと思う人がいるでしょうか。
例え仕事だったとしても、そんな人と関わりたくないと思うのが人の心です。
実際、福祉の仕事を離職する理由の中で、仕事が金銭的、体力的、心理的にきついのもそうだけれども、もうこの人達の支援がしたくなくなった、関わりたくなくなった、と言う人が多いのです。


ヒトは損得のみで行動するのではありません。
ここが分からない人は、行動療法を盲信するように感じます。
心があり、意思があり、主体性がある。
ここが分からない人は、自分の意思で選択した「治る」という道で頑張る親御さんを見て、「騙されている」「甘言につられてしまった」と解釈するように感じます。
どっかの新興宗教と違って、一度入ったら抜けられない、などということはないのです。
自分の意思で選択、行動し、育んでいるのが、多くの親御さん。
もし、良いと思った育て方が我が子に合わなくなったと感じたら、すぐに止めるに決まっています。


「治るなんてインチキだ」という人は、その治るという方法も、人たちのことも自分の目で確かめることをしない。
すべて自分の脳内でできた物語で、独りよがりのことを言っているだけ。
普通、「治るなんてインチキだ」というのは、実際にやった人達が言うものです。
「治ると言っていたけれども、全然、治らないじゃないか。子どもは成長しないじゃないか、変わらないじゃないか」という声は、実際を知らない、知ろうともしない者が言うセリフではありません。


治る道を歩んでいる本人、家族からは、「この知見と出会ってよかった」「子どもはどんどん発達するし、課題が解決していっている」という声ばかり。
そして、「インチキ」「トンデモ」と言っている人は何も知らない人であり、聴こえてくるのは、自分は、我が子は「生きづらーい」という声ばかり。
この図式を見れば、特別支援の知識があるとかないとか関係なく、想像する力がちゃんと育っている人は真実を理解することができます。


想像する力が育っていないとしたら、ちゃんと育てなきゃなりません。
「ここの場面では、こう振る舞う」などといった方法ではなく。
空気が読めないのなら、自分の感覚面を育て直す。
他人の心情、視点が想像できないのなら、まず自分の主体性を、内臓、背骨など身体面から育て直していく。
「私、発達障害があって、相手の気持ちがわからず、傷つけてしまうことがありますので」と言われても、許されないのが自然な社会。
想像力の問題は、自立を妨げる本丸なのです。

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