2018年10月11日木曜日

身体と選択の育ちが主体を育み、主体の育ちが想像力の育ちと繋がっている

この仕事をするまで、「主体性」なんて考えることはなかったですね。
自分に主体があるのは当たり前ですし、自分以外の人だって、それぞれ主体を持っている。
自分に主体があるから選択し、行動することができる。
他人にも主体があるから、その選択、行動を侵すようなことはしてはならない。
そんな風に思っていました。
でも、この主体が「わからない」人がこんなにもいるのか、と感じるのが、この仕事を始めてから続いています。


「自分と同じように、他人にも主体がある」という視点がない人は、自分の脳内のみで物事を完結させます。
また、自分から見える他人の行動のみで、物事を判断します。
だから、平気で他人に対し、自分の価値観を押しつけてくるし、自分と異なる意見や考えを理解することができません。
これは、想像力の問題。
そんな想像力の土台になっているのは、感覚、内臓、身体、動きなど。
一言で言えば、自分という主体がちゃんと育っていないということです。
自分が分からずして、他人の視点を想像することはできません。


はっきりしない自分が、想像力の問題の正体です。
それを、いつまで経っても「それが障害特性ですから」というレベルから抜け出せない人が、「理解をー」と叫び、応用の利かないパターンで想像力を補うことを教えます。
でも、これは想像力の問題を補っているのではなく、当然、想像力を育てようともしていません。
ただのその場しのぎであり、支援者が「ちゃんと支援やってますよ」とアリバイを作っているだけ。
真の支援者、専門家だったら、想像力を構成する神経発達に目を向け、その発達自体を促せなければ責務を果たしているとは言えないでしょう。


他人の主体を侵すまでに至らなくても、主体が乏しいと感じる人は、親御さんの中にもいます。
その人の物語を辿っていくと、主体を育てる機会の乏しさと突き当たります。
親が常に先回りしていた子ども時代。
自分の意思よりも、親の意思が優先された子ども時代。
親が思い描く姿になることが、自分のすべてだった人が大人になり、子どもを授かると戸惑います。
また、子ども時代の親の意思というよりも、環境、空気感を読み、自ら主体を無くしてきた人もいます。
それが主体性のない支援者であり、有名支援者、エビデンスなどの言葉に従ってしまい、自らの意思や感覚が押しだせない支援者たち。


想像力の問題は、固定された障害ではなく、未発達という意味。
だから、必要なのは、育んでいく機会です。
でも、想像する力を養おうとして、いくら相手の気持ちを考えさせる練習をしても意味がありません。
想像力が育つには、主体が育っている必要がある。
それには身体を育てていくことが重要です。
またそれと同時に、選択する機会が重要。


自らで選択することで、自分が何が好きで、何が嫌いかがわかってくる。
最初は、食べ物や遊び道具など、具体的なものから。
そして徐々に、何がしたいか、したくないか、抽象的なものの選択を行っていく。
そうすることで、自分というものが何なのかはっきりしてきて、自分という主体が掴めるようになってくる。
主体を育むというのは、身体からと選択からの両方があると考えています。
先回りする親も、失敗させない支援者も、この選択の機会を奪うことに繋がるため、その子の主体性が育たず、結果的に想像力の問題へと繋がっていくように思います。


私も施設では、自閉症、行動障害だけではなく、重度、最重度、また測定不能と言われるような方達の支援に携わっていました。
今も、知的障害の重い方の発達援助に関わっています。
でも、知的障害が重かったとしても、選択することはできますし、選択する力は養っていけると思います。
それが例え限られた範囲で、具体的な物だったとしても。
どんな重い子でも、私は選択する機会を尊重し、大事な育ちだと考えています。
拒否だとしても、それは本人にとっては、大事な主体の一部です。
拒否できない、拒否できなかった姿は、愛着障害の人の姿と重なります。


決められたスケジュールを淡々とこなしているようでは、主体は育っていきません。
生活、育ちの中に、選択がないからです。
特に支援者というのは、当事者の主体性を嫌いますので、こういった選択のない支援が横暴しているのです。
ですから、いつまで経っても、「想像力の障害」から抜け出せませんし、育もうなんていう視点は出てきません。


主体の育ちと想像力の育ちは繋がっていると思います。
主体は、身体という土台の育ちと、選択の機会が育んでいくと思います。
選択の発達過程は、具体的なものから抽象的なものへ。
2つの選択から3つの選択、そして最後は選択肢のない中での選択です。
「これが好きだから、このおやつ」ではなく、「こっちとこっち、どっちにする?」というひと手間が大事な育ちになるかもしれません。
選択の機会だったら、今日、今からすぐにおうちで行うことができますね。

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