「自閉症は一生治らないんだから」が言い訳にならないように

学生時代から「自閉症は一生治らないんだから」という言葉に疑問を持っていました。
それは生物学的な視点に対する疑問ではなく、専門家が言い訳に使っていないか、という疑問です。
確かに、いったん「自閉症」と診断された人が、定型発達に変わることはないと思います。
でも、だからといって、療育を受けている自閉症の人たちにポジティブな変化が見られなくても良い、というようにはならないと思います。
やはりある程度の期間で、本人やその家族が「気持ちが前向きになった」「自分は成長したかもしれない」「〇〇ができるようになった」「身体が楽になった」というような実感をもってもらえるようにしなければならないと思います。

当事者や家族の方たちとお話しすると、"変化が見られない"ということに不満を感じている人が多くいることが分かります。
療育を受けに行くというのは、本来は"変化"を求めて行っているのだと思います。
それなのに「ただ話を聞いてくれるだけ」「何年も通っているのに、変わっていない」「また"様子を見ましょう"でした」などの言葉の中には、現実と理想とのギャップがありそうです。

もちろん、話をきいてくれる、寄り添ってくれる専門家は、日常生活を保つのには必要な存在なのでしょう。
しかし、本来はその次のステップのために専門家がいるのだと思います。
自閉症支援の中核は、当事者の方たちの"自立"です。
長年の関係性は、心地良いかもしれませんが、自立を妨げる要因にもなりかねません。
当事者の方にとって居心地が良い関係は、専門家が"自立"を目標に療育する積極性を緩めてしまう危険性があるためです。
ポジティブな変化が見られないときのエクスキューズとして「自閉症は一生治らないのだから」と言うのは、私は違うと思います。

私は常に結果にこだわるようにしています。
それは直接、利用してくれた方たちからお金をいただいているというのもありますし、公的なバックアップがありませんので、結果が出ない=仕事がなくなることを意味するからです。
選択肢が少ない業界は、マンネリ化を生み、サービスの質の維持と向上が難しくなるのが自然な流れです。
私は敢えて厳しい環境に身を置き、サービスの質を高めていく道を選択しました。
利用してくれる方にポジティブな変化が見られなければ、そのときは廃業のときです。
利用してくれる方たちができるだけ短期間で、私の支援が必要がなくなることが理想の形です。

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