2018年2月5日月曜日

「治る」を強調しなくても良い時代へ

治らないと信じている人が、「発達障害は治りません!」と言うのを見ると、可笑しくなってしまいます。
だって、言っている本人が信じられていないんじゃんって思うからです。
治る治らないじゃなくても、自分が信じ、確信していることを、知らない他人が反対の主張をしていたとしても、普通は気にも留めませんね。


治らないと信じ、確信して子育て、支援されているというのなら、そのまま治らず、治さず、歩まれたら良いはずです。
治らないと思っていた子が治らなかった。
言っている通りになったのですから、それで良いじゃないですか。


でも、「治る」と言う人や、治った人を見かけると、どうしても何か言いたくなる。
それは、妬み、僻み、嫉みの表れであり、そもそも「治らない」を信じ切れていないということです。
だから、いちいち「治る」を否定してこようとする人は、必死さがある人ほど、「治らない」という主張が揺れているのです。
「治らない」という確信が持てないから否定しようとする。
本当は治ってほしいと願っているからこそ、必死になる。
治らない確信が持てている人は、わき目も触れずに治らない道を突き進むものです。


じゃあ、お前はどうして「治る」という言葉を使うんだ?
お前こそ、「治る」という確信が持てないから否定するんじゃないか?
と言われそうですね。
以前、「治す」という言葉を敢えて使って宣伝しているんだ、とズレた見解を示していたローカルギョーカイがいましたが…。


私が「治る」という言葉を使うのは、発達障害は治るし、治った人を見てきたからそう言うのが一番の理由です。
そして、発達障害という診断を受けた子の親御さんが、まず想う「治る方法はないだろうか」という願いをギョーカイに潰してもらいたくないからです。


ギョーカイが垂れ流す情報はもちろんですが、公的な機関でも「治らない」という情報で溢れています。
でも、「本当にそうだろうか」「治る方法があるのではないか」と想い続ける親御さんはいます。
そんなとき、「治る」という言葉と出会えれば、希望を持ち続けることができ、自然な親心とエネルギーをお子さんの発達、成長に注ぐことができます。


一年以上、探し続けて、やっと私とつながった方もいます。
しかし、別に私とつながらなくても良いのです。
治らないしかない世界と思っていところに、「治る」という言葉が存在することに気が付けば。
治る道があることを知れば、そのまま、突き進める親御さんもいますし、治るを軸に行動すれば、治す人、治った人と縁が結ばれていきます。
逆に言えば、治るという視点がなければ、治る人と縁が生まれません。


私が「治る」という言葉を使うのは、治る道があることに気が付いてほしいから。
別に、「治らない」と信じている人に、「治ります」と伝える目的も、考えを改めてもらう願いもありません。
繰り返しになりますが、治らないと信じている人の子が治らないのは当然ですし、お望み通りで良かったですね、と思います。


治りたい人、治したい人のために、「治る」という言葉を敢えて使っています。
でも、その必要も、あと5年もすれば、なくなると思います。
私が敢えて使わなくとも、全国に治った人が出てきて、どんどん社会の中で働き、活躍していくはずです。
また2000年代から、特別支援と名が変わってから、ブイブイ言わせていた専門家の先生方も、もうすでに時代のニーズと主張が合わなくなってきていますし、引退が近づいている年齢の方ばかりです。


これから生まれてくる子ども達とその親御さん達は、地域にいる治った人の姿を当たり前に目にするでしょう。
同時に、「治らない」と信じて歩まれてきた人の姿も目にするでしょう。
そうなれば、どの道を選ぶか明らかです。


「治る」なんて言葉を敢えて強調する必要がない時代が、一日でも早くやってくるよう私は治したい人の後押しを頑張る。
そして、子育て中の親御さんは、我が子を治し、社会の中で自分の資質を活かし、主体的な人生を歩めるよう育て、援助することが、それぞれの地域の後輩たちの希望の道をつくることになると考えています。
私は、治りたい人、治したい人とのみ共に歩いていきます。

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