2018年2月13日火曜日

激しい行動は、エネルギー、生命力の強さの表れ

行動障害を持つ人の中で、その頻度や強度が強い人は、強度行動障害になります。
私が働いていた施設は、強度行動障害支援事業を行っていましたので、その判断基準となる「強度行動障害判定基準表」を度々使っていました。
これをご覧になればわかると思うのですが、ひどい自傷、他害、激しいこだわり、器物破損など、行動障害と聞いて思い浮かべやすい項目から、睡眠、食事、排泄、多動など、よく「問題行動」と言われている項目など、全部で11項目について、どれくらいの頻度で見られるかで得点を付けていき、一定の点数を超えると、「強度行動障害」と判定されます。


よく勘違いされている方がいらっしゃるのですが、嫌なことがあったとき、自分の頭をポカッと叩く、これだけでは強度行動障害になりませんし、行動障害というのも難しいといえます。
何故なら、ポカッというくらいの力の強さでは、行動障害と表現できるものではないからです。
また、いくら自分を怪我させるほどの力の自傷だったとしても、他の項目、つまり、ひどい他害や激しいこだわり、睡眠や食事に問題がなければ、強度行動障害の基準を超えないのです。
具体的に記せば、激しい自傷が「一日中ある」で5点、でも、他に行動障害が見られないと0点で、合計が10点以上ないと強度行動障害になりませんので、その人は「激しい自傷がある人」になります。
強度行動障害の判定基準を超えるには、ただの自傷、他害、こだわりではなく、どれも激しくて、それも頻繁に見られるものが、複数ある必要があります。
ですから、強度行動障害と判定されるくらいになるまでには、相当難しいといえます。


私が施設で接してきたひどい強度で、それも頻繁に見られる人達。
そういう人達の多くは、糸が絡まりまくっている状態、そんな風に見えました。
始まりは発達のヌケや遅れだったのですが、それが人や環境の影響を受けながら、よりいびつな方へと形作られていった。
「もう少し早い段階で何かできなかったものか…」
「ネガティブな影響を与えた要因が一つでも少なかったら…」
ここまであらゆる面で、行動障害が現れなかったのに、と思うこともありました。


しかし今、「エネルギー」というワードを見聞きする中で、発達のヌケと環境のズレだけではなく、本人たちにも共通性があったような気がしてきました。
それは、みなさん、エネルギーに溢れていたということ。
もちろん、本人の持っているエネルギーが間違った行動の方へ向かってしまった結果、強度行動障害と言われるくらいまでになってしまったのですが、そのエネルギーが強かった人ばかりだったように記憶しています。
満ち溢れたエネルギー、生命力が自分や外に向かっていってしまった。
受け身のタイプの人や熱量が少ないような人は、行動障害がなかったように思えます。


そう考えると、不適切な方向へと向かわせてしまったエネルギーを、ちょっと角度を変えて、適切な方向へ進路を変えてあげられれば、自分や他人を傷つけるのではなく、助ける力になっていたかもしれないと思いました。
溢れ出たエネルギーが行き場を無くし、処理することができず、長年の間に身に付けてしまった不適切な行動を通して発散させていたような気もします。
ですから、周囲から見える不適切な行動も、本人からすれば、自己治療の一つだったのかもしれません。
もちろん、それを容認することはできませんが。


夏休みなどの長期休暇の際、帰省等で職員数に余裕があるときには、ゆっくり時間をかけて、行動障害の子と一緒に散歩、遠足に行っていました。
自然豊かな場所でしたので、近くの野山を歩き、たくさん汗をかく。
そうすると、その日に限っては、行動が落ち着き、表情も自然になるのでした。
特に運動や身体に関する知識があったわけではありませんが、「自然の中で運動は行動を落ち着かせる」、職員は経験の中でそう感じ、先輩から後輩へと代々受け継いできたのでした。


今、振り返れば、満ち溢れていたエネルギーを、その人が持っていた生命力を、服薬や様々な支援で抑えようとするのではなく、発散させる方法をもっと大切に、また価値あるものと捉えればよかったと反省しています。
元気のない行動障害の人っていませんでしたね。
みんな、力に溢れていました。
それが周囲に与える怖さにもつながり、作用して、職員に「抑える」を強く意識させたのかもしれません。
たとえ誤った使い方だったとしても、エネルギーがなければ、行動は起きない。
激しい行動は、エネルギー、生命力の強さが表に出た姿なのかもしれないと改めて思いました。

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