2018年2月6日火曜日

エビデンスが得られたとしても、治るを選ばない人、否定する人

「治るなんてインチキだ!」と言う人は相変わらずいます。
そして、その理由を「エビデンスがないから」と言う。
でも、治ることにエビデンスが得られたとしても、そういう人は「治る」を選ばないし、粗探しをしてでも否定すると思うんです。


何故なら、彼らが守りたいのは、エビデンス、科学的根拠ではないはずだから。
だって、そう言っている人の大部分は、親御さんだったり、支援者だったりするのです。
研究者だったらエビデンスにこだわるのもわかるけれど、申し訳ないですが、一般の親御さん、そこら辺にいる支援者がエビデンスを守ろうとする意義もなければ、私にはその意味がわかりません。
一般的な感覚なら、目の前にいる子が「より良くなる」それ以外の軸はないと思うんですね。


じゃあ、彼らが「治る」の何に恐れているのか。
それは、「発達障害になるのは誰のせいでもないが、発達障害が治らないのは親のせいであり、支援者のせい」、つまりこういうことだと思うんです。
結局、我が子の発達、成長よりも、自分が否定されることを恐れていて、そうなりそうなときのために「治らない。だって、障害だから」という逃げ道がほしいということなんだと感じます。


愛着の土台がしっかり育っている人は、他者から何を言われようとも揺らぎません。
ですから、自分の育て方を信じて進むことができるし、もし他者からの指摘が「そうだな」と思えば、柔軟に取り入れることができる。
指摘されること、否定されること=自分の存在自体が否定されている、ではない。
それが頭でも、身体でも、感覚でもわからない。
そういう自分の愛着に課題が残っている人が、治るを否定し、「治らないのは、あなたのせい」と言われるのを恐れているのです。


よく治るを目指している親御さんの中にも、「私が悪くて、なかなか治っていかない…」などと自己否定っぽく言われる方がいますが、たとえ治っていかなかったとしても、別に親御さんが悪いとか、悪くないとか、言っているわけではありません。
ただ単に治し方がずれているか、発達のヌケの部分の見立てが誤っているかです。
それを頭の中で自動的に「治らない=自分のやり方が悪い=自分はダメな人だ」と変換してしまっている。
やっぱり何でもすぐに自己否定と繋げてしまう人というのは、愛着という土台に揺らぎがあり、課題がある人なんだと思います。
そういった人にとっては、たとえ我が子だとしても、治らない方が安心でき、「みんな治らない」ではなく、人によって治るなどという違いが明確になることを恐れるのだといえます。


常識的に考えて、我が子が治って困る親も、関わっていた子が「もう支援はいらないよ。自分の力で生きていけるから」というように成長して困る先生、支援者もいないはずです。
本人が一番治ることを望んでいる。
じゃあ、治って困るのは、誰なのか?
それは自立しないでずっと支援を受け続けてくれることで商売になる人達と、自分を必要としてくれる弱い立場の人がいることで愛着を埋めようとしている人、自分自身の土台が不安定で、いつも指摘されることにびくびく恐れている人。
プライドが高い人、虚勢を張る人というのは、愛着という土台が脆いからこそなのだと思います。


発達障害になるのは誰のせいでもありません。
でも、治るか、治らないかは、本人と親御さんの力にかかっています。
だからといって、治らないのは、本人に問題があるわけでも、親御さんが悪いわけでもありません。
ただ発達のヌケの見立て、発達援助の仕方に問題があるのです。
その問題に気づかせ、後押しするのが、真の支援者の仕事だと考えています。


0 件のコメント:

コメントを投稿