2018年2月15日木曜日

自らが治し、発達、成長させる

怪我をすると、血が出ます。
血が出たあと、その傷口を消毒したり、縫ったりして処置するのは、人間だけです。
他の動物は、そんなことはしません。
じゃあ、他の動物は怪我が治らないのかといったら、そうではなく、自らの力によって傷を癒し、再生していきます。
中には、切断した身体の部分を自己再生する動物もいます。
ですから、消毒液や縫合糸に傷を治す力はありません。
自分を治す力は自分が持っているのです。
そういった意味では、人間が作った医療も、治すための後押しをしているのだといえます。


人間の発達、成長も、同じだと私は考えています。
自らの内側に発達する力、成長する力を持っている。
しかも、それは止まることなく絶えず動いており、環境により良く適応するといった方向へと進んでいるのだと思います。


そのように考えると、発達に遅れがある子ども達は、何らかの理由で自らが持つ発達、成長する力が阻害されている状態、発揮できていない状態と言うことができます。
発達障害の人達は、ヒトの中に組み込まれた発達過程の中に抜けている部分があることが中心的な理由になります。
しかし他にも、動物として基本的な食事、睡眠、排泄に問題があること、不適切な養育、環境からの過剰な刺激などの理由も考えられます。


行動障害に関しても、環境により良く適応しようと動いた結果だと考えると、2つの側面が見えてきます。
まずすぐに思いつくのが、誤学習です。
周囲の誤った関わり、メッセージにより、誤った環境に適応してしまうということです。
また、本人が情報の切り取り方を間違ってしまい、誤った風に捉え、それに適応していってしまうということもあります。


もう一つの側面は、本人が今の環境の中でラクになろうとして動いた結果が、周囲からは認められなく、行動障害に見られてしまうということです。
自閉症で、かつ行動障害を持つ人の多くに、感覚面の課題を持っています。
周囲から理解されない彼らの行動も、そんな感覚面の課題に対する対処であり、自己治療のような気がします。
経験が浅いときには、「どうしてそんな行動をするのだろう」と疑問に思っていましたが、彼らと寝食を共にする中で、「やらざるを得ないからやっている」「そうしないと、自分の精神、命が保てないからやっている」そんな風に感じるようになりました。


人間の社会では、医療が尊いものであり、限られた人間にしかそれを行う権利がないものです。
でも、医療は治す後押しができても、根本治癒を果たすことができません。
死んだ人間の傷口をいくら縫っても、死んだ人間にいくら薬を投与しても、治りません。
生きているから治るのであり、治す力を自らの内側に持っているから治るのだと思います。


動物はみな、自らの傷を癒す力を持っているように、自らを発達、成長させ、より良く環境に適応する力を持っているのだと考えています。
ですから、発達障害の子ども達と接する援助者ができることは、彼らの力が発揮できるようにしていくこと。
なんだかんだ専門的、高度な知識と技術などと言わずとも、阻害している要因をクリアにすれば、あとは自らの力で発達、成長していくはずです。
それ以降は、彼らが適応していこうとする環境を整えていけば良いだけです。
彼らの知的好奇心、試行錯誤、やり切る気持ちを満たせる環境です。


自閉症、発達障害の人たちへの支援を専門分野にしたことで救われた人もいると思います。
しかし、専門分野にした結果、余計に糸が絡まった、支援者が思い描く人工的な環境に適応してしまった、という人もいると思います。
治す力、成長、発達する力を持った彼らに、発揮できない状態をありのままに、「これが社会だよ」と人工的な環境を用意する。
これは、とっても勿体ないことだと思いますし、ヒトの視点が抜けた育ちだと思います。


医師に限らず、先生、支援者など、「私が治しますよ、育ててみせますよ」という人よりも、上手に子どもの力を引き出し、子ども自身で発達、成長できるように補助してくれる人を探すのが良いと思います。
頼った結果、状態がもっと悪くなる、新たな問題が出てくるのはもっての外ですし、本人も、家族も、主体性が失われていく、受け身になっていく、というのも御止めになった方が良いと思います。
背中を押してほしいのに、足を引っ張られるのは御免ですね。

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