仕事とボランティアの違い

北海道の学校では、2学期がとっくに始まっていますし、お盆を過ぎたあたりから涼しいというか、寒いくらいになっていたので、「まだ今日が8月か」というような感じです。
8月の頭の頃が、ずっと前のような気がします。

8月は夏休みということもあり、たくさんのイベントが催されていました。
支援に携わっている学生さんも、ボランティアとしてイベントに参加しており、真っ黒に日焼けした肌を見せながら、どんな活動をしたのか、どんなことを学んだのかを話してくれています。
ボランティアをしている方も、多くのものを得ているのだと思います。

ボランティア活動なのに、まるで仕事のように尽力されている人を見かけると、私自身も多くの刺激を貰います。
当日に向けて入念な準備を行い、そして当日を迎える。
当日は、その人が持っているスキルを余すことなく提供する。
それは何の見返りも求めずに。
そして、終了後には次に向けて省み、淡々とレベルアップを目指していく。

一方で、仕事なのにボランティアのような姿勢の人もいます。
ちゃんと責任感を持って臨んでいるのか。
ちゃんと陰で努力し、職業人としてのスキルアップをしているのか、と。
立場にお金が出ているのではなく、労働に対してお金が出ていることが分かっていない人もいるような気がしてしまいますね。

で、なんで今日はこんなことを書いているかと言ったら、自閉症の人の中にも、仕事に関する見えない部分が抜けている人がいるからです。
就職試験に受かれば、職業人になることができる。
自分が希望する仕事が、具体的にどんな労働を行うかは知っている。
でも、その働いている人たちが見えないところで努力し、スキルアップを行っていること。
仕事に対してベストな状態で臨めるように、日々の生活や週末の過ごし方などを工夫していることに気が付かない場合があります。
また、仕事には理不尽なこともあり、苦労や我慢が必要なこと。
反対に、仕事で得るのは、賃金だけではなく、喜びや成長、充足感などがあることも。
こういったことも仕事に教えるときには、必要な情報じゃないかなと思うことがあります。

仕事って、ただ労働して、それに見合う賃金を受け取るといった単純な話ではありませんよね。
仕事を立体的ではなく、平面に捉えている人が多いような印象を受ける人がいたので、「こういった点が抜けているのでは?」と思う点を書いてみました。

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