選ぶ時代から選ばれる時代へ

いや~、親御さんに面と向かって
「一般就労できたら、学校の良いアピールになるんです」
「できれば、公務員にしてください。公務員の方が印象が良いんです」
と言っちゃう無神経さに驚いてしまいました。
学校のアピールのために、12年間頑張ってきたわけではありませんし、就職するのではありませんよね。
学校が定員割れしようと、その子と親御さんには関係がありません。
生徒さんと、親御さんに対する失礼だと思う気持ちを通り越して、ただただ呆れてしまいます。
民間、自営業で悪かったですね。

こういった発言が出る背景には、個人の資質の他にも、理由が考えられます。
それは「選ばれる時代」になったということです。

来年の3月に卒業する今の高校3年生の代から、就労も、入所も、通所も、かなり厳しくなります。
現在、各学校の進路指導の先生たちが頭を抱えている状態です。
これは今までのように希望すれば、みんなどこかしら入れるという時代は終わったことを意味します。
ただでさえ、空きのない枠なので、競争は熾烈になってくる。
実際、数年前まで、知的障害の重い人、家庭で生活することが困難な人を積極的に受け入れてきた施設が、より知的障害が軽く、手のかからない人を選んで入れるようになっています。
施設によっては、がらっと雰囲気が変わったところも少なくありません。
施設側も、人材面、資源面で厳しい状況なので、より支援の必要がなく、リスクが少ない人を選ぶのは自然な流れですし、これからますますそうなるでしょう。

ですから、これからは「選ばれる人間」になる必要があります。
と言いますが、やっと特別支援の世界も、社会と同じになったのです。
学校だって入試がありますし、就職だって試験があります。
希望する人、全員がOKという場所でなければ、競争があるのは当然なことです。
今、ちょうどテレビでやっているように(私は決してみませんが)、「障害がある人すべてを受け入れよう」というのは作られた世界です。
「競争が嫌だ」「弱肉強食の世界はよくない」と言う人も、付き合う人は選んでいるはずです。

高校3年生になって慌てて取り組みを始めても遅すぎます。
小学部のときからのツケを一気に払うには、代償が大きすぎます。
ですから、「放課後、学校に迎えに行ってくれて、時間を過ごしたあと、家にまで送ってくれてラッキー」と言って喜んでいる場合ではありません。
頭の柔らかい子ども時代の時間は、とても貴重なものです。
狭い衝立の中でビデオを観たり、小動物を見に行ったり、鍵が閉まっている部屋で走り回ったりして、時間つぶしをしている暇はありません。
放課後も大事な学びの時間ですから、家庭でもやれることはやる。
そして、しっかり児童デイも選ぶことが大事です。

知的障害云々ではなく、自閉症の重さ云々ではなく、子ども時代どう過ごしたかが、卒業後の人生に表れてきます。
来年から大きな転換期を迎えます。
福祉を選んでいた時代から、バカにしていた福祉から選ばれる時代になるのです。
冒頭の学校の先生が焦るように、学校間の競争も始まり、児童、生徒、保護者に選ばれる学校にならなくては生き残れません。
時代は確実に変わってきます。
ですから、努力できる人は努力を続け、自分の人生を豊かにするためにも、時代や組織が求める「選ばれる人間」を目指していく必要があります。
もうみんなが「選んでくれる」時代は終わったのです。

コメント

  1. ななつぼし2015年8月24日 6:03

    娘は良い時期に卒業したなぁと。

    重度の自閉症で知的しょうがいのある次女に
    行き先なんて無いと思っていました。
    でもその年の希望者が多く
    定員オーバー状態で「内定」をした時は
    「次女の力が認められた。選んでもらったんだ?」
    と嬉しく思いました。
    (送り出したときは泣きましたが…)
    先生は無意識に?失礼なことを言います。
    私も泣かされたましたから��

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    1. ななつぼしさんへ

      確かに、今の高校3年生の皆さんを見ていると、数年違うだけで、「こうも違うものか」と思うことがあります。
      もちろん、数年前からすでに厳しい状況にはなっていましたが。
      しかし、ななつぼしさんの娘さんに関しては、娘さんが小さいときから、コツコツと積み重ねていった結果だと思います!
      例えば、「少しずつ一人で家にいられる時間を増やしていく」という留守番ができるようになる取り組みは、生活の場を変えてからも活かされる経験、スキルだと思います。
      そういったななつぼしさんと一緒に頑張ってきた成果が、言葉は悪いかもしれませんが、施設の側から「選ばれた」のだと思いますし、認められたことを意味しているのだと思います。

      ななつぼしさんがおっしゃるように、無意識に失礼なことを言っている場合も多いと、私も感じています。
      福祉や医療の職員とも話をしたりしますが、学校の先生に強く見られる傾向ですね。
      他の業種と比べて、大学からストレートに先生となるため、(他業種や社会の仕組みを知らず)視野が極端に狭いような気がします。
      また、管理職が圧倒的に少なく(校長、教頭くらい)、あまり指摘や指導はされません。
      しかも、極端なことを言えば、犯罪を起こさない限り、クビはありません。
      他業種を知らず、同じ学校の中の人間ばかりと接していれば、社会性は乏しくなりますし、敬語が使えなくなる人も多くなります。
      自分の発した言葉が、失礼かどうかはわかっていない人も少なくないと感じます。
      とってつけたように書きますが(笑)、もちろん多くの先生はこのような人たちではありません。
      しかし、どうしても他業種の人たちと比べても目立ってしまうのが正直なところ。
      資質の問題と言うよりは、学校という特殊な環境がこのような人間を作っているのだと解釈しています。
      まあ、「ソーシャルスキルを教えている方が、先にソーシャルスキルを学ぶ必要がある」というツッコミを入れて、悪口を終えたいと思います(笑)

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