2020年5月9日土曜日

【No.1062】努力は裏切る、生きているから

今日も午前中から子ども達の元気な声が聞こえてきます。
場所によっては、「外で遊ぶなんて!」という声があるようですが、私の住む地域では比較的温かく子ども達を見ている大人が多いようです。
厳しい冬のあとの春ですから、十分な陽を浴びながら外で遊ぶことは、免疫力をあげ、心身の健康に繋がるのだと思います。
子ども達にとっては人生の土台作りの時間なので、「コロナにはかからなかったけれども、他の病気に患いやすくなった。発達の土台作りができなかった」なんてことがないようにしてもらいたいです。


「自分は頑張って自粛しているのに、〇〇はけしからん!」という具合に他人が気になる人が少なくように感じます。
日本人は特に輪を乱すこと、乱れることを嫌いますし、「努力が実を結ぶ」「失敗は努力が足りないから」と考える傾向がありますので。
どのように捉え、考えるかは人それぞれであり、別にとやかく言うつもりはありません。
しかし個人の感情と実際の感染リスクは分けて考える必要があると思います。
自粛している人は絶対感染しないか、感染させないかといえばそうではないでしょうし、むしろ外で過ごすほうが三密にはなりづらいといえます。
そもそも家で自粛することができない医療現場の人たちや治安や物流を支えている人達も大勢いますし。
ですから自分の心を乱す根っこは、他人の行動ではなく、自分自身の不安や努力と結果を強く結びつけるような個人の考え方なのだと思います。


発達相談の仕事をしていて、同じような経験をすることがあります。
親御さんが頑張って子育てをされた結果、子どもさんの多くの課題がなくなった、発達の遅れを取り戻すことができた、「一生福祉」と告げられた子が自立して生活するまで育った、などのポジティブな変化が見られる家庭があります。
その一方で、親御さんが一生懸命子育てや取り組みをされているのに、それがポジティブな変化として子どもさんに表れない家庭もあります。
じゃあ、ポジティブな変化が見られない家庭は努力不足か、やり方が悪いのか、愛情のかけ方が間違っているかと言えば、まったくそんなことはなく、むしろ、なかなかポジティブな変化が見られない親御さんのほうが一生懸命行動し、深い愛情をかけていることを感じる場合も多々あるのです。
「ポジティブな変化が見られない」
「発達・成長してはいるけれども、劇的に変わるぐらいまで、もっといえば、定型の子達とは近づいていかない」
そんな親御さん達の言葉からは、ご自身を責め、自らの手で傷つけている雰囲気を感じます。


「発達障害が治るのは分かった。でも、うちの子は治らない。きっと自分の育て方に問題があるのだろう。やり方がまずかったのだろう。取り組み始めたのが遅かったから。あのとき、私がああしたから…」
私も二人の子の親でもありますので、こういった親御さんの葛藤を重ねて感じることができます。
本来、ご自分を責め、自ら傷つけるべきところではないところで苦しんでいる親御さん達は少なくないと感じます。
「やったらやっただけ育つ」「時間をかけただけ、お金や労力をかけただけ育つ」
発達とはそんなに単純なものではありません、当然子育てもそうです。
ですからご自身を責められている親御さんにお伝えしたいのは、「子どもの発達・成長において親も家庭も最も大切で影響のある環境だといえるが、あくまで子が育つ環境の一つであり、決定要因ではない」ということです。


気持ち的には「頑張った家庭の子がより良く育つ」というほうがすっきりしますが、まったく手をかけないでほったらかしている家庭の子が置かれた環境で自らたくましく育っていったという不都合な真実もあります。
子が育つ環境は多様であり、本人の内側にある育つ力、発達する力は一人ひとり違っています。
当然、遺伝子、資質も違いますし、課題の大きさ、複雑さも違います。
なので、あっちの子が良かったことがうちの子には当てはまらないこともありますし、親御さんが一生懸命行ったことが実を結ばないこともあります。


取り組みの結果がポジティブな変化になるとは誰も証明ができないことです。
子どもさんの発達に他のことが大きな影響を及ぼしていて、実際は気がついていないこともあるでしょう。
たまたまそのタイミングと取り組みがあったということもあるはずです。
そもそも子どもさん一人ひとりの内側には育つ力、発達する力がありますので、その子の変化はその子自身が決めていくのだと思います。
親という一つの環境ができることは、虐待などで発達を阻害する以外は、その子の発達をそっと後押しするくらいなものです。


子の土台から、根っこから、他人がすべて変えよう、変えられると思うのは、子どもという自分とは異なる一人の主体を信じ切れていないような気が私にはします。
子どもには、その子の発達の流れがあり、人生がある。
その発達の流れを加速させたり、人生を豊かにと彩りを加えたり。
それが現実であり、一つの環境としての自分ができることなのではないでしょうか。
ですから、「定型の子まで追いつけなかった」「支援級から転籍できなかった」「知的障害が残ったまま」という事実を自分のせいにも、誰かのせいにもする必要はないと思います。


子育てで大事なことは、その子の発達を後押しし続けることであり、二度と戻ってこない今日一日を大切に、家族の思い出、幸せな時間を作っていくことです。
それなのに他と比べ、また自ら自分のせいだと苦しむのは間違っているといえます。
どんな結果になろうとも、そのとき、そのときでベストだと思う選択、行動ができていれば、それでよいのです。
私の今までの発信の仕方、仕事の仕方がまずかったのだと思います。
一部の親御さんに、「やれば治る」「やれば問題が解決する」という印象を強く持たせてしまいました。


実際は、「やれば治る部分があり、その部分を後押しする方法がある」ということです。
確かに支援校だった子が一般就労したり、支援級から普通級へ転籍したり、幼児期に診断受けた子が普通の子として生活できるようになったりするケースがあるのも事実です。
当然、そういった子ども達の家庭、親御さんの影響は大きいと言えます。
しかし、それでもやっぱり最後はその子自身で、その子の資質、発達する力と意思だと感じます。


また事実、健常域まで育った子達の多くは、メディア視聴の影響で一時的に自閉症様が出ていたとか、ある発達課題が育っていなかったために以降の発達に遅れが見られているとか、そもそもが障害じゃないよね、誤診じゃないの、という子です。
そういったお子さんに対しては、積極的に治す方向で提案していこうと思います。
もちろん、特性を持ったまま、健常域までいく子もいますので、『発達の土台を育てる』『未発達ややり残しを育てていく』という方向・アイディアは同じです。
だけれども、やっぱり自分の仕事の核は家庭支援であり、親御さんが我が子のより良い発達を願い、家族として成長していける後押しだと考えています。


そう考えると、自分が磨くべき、追及していくべき仕事は、見たて。
その子の発達の流れ、物語を紡いでいき、どの時点で本来の流れからずれたかを見極めていく。
どこの課題が表に現れている課題となっているかを確かめ、それをその子自身で育てていける環境を提案していく。


「努力は裏切らない」と思いたいのは自然なことです。
でも、子育ては違います。
だって、子は生きているから。
たとえ生まれたばかりの弱々しい赤ちゃんだって、自分の人生を歩み、自分の命を全うしているのです。
その瞬間を思いだすことが、ご自身を傷つけているその手を止めるきっかけになるかもしれません。



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