2020年5月12日火曜日

【No.1064】乳幼児期に大切な随伴性を伴う遊び

 「行動変容」という言葉を目にすると、そういえば、「行動を変えることが支援であり、療育である」と考えていた集団があったよな、と思いだします。
その昔、私が学生だった頃、当地の支援には視覚支援グループと行動変容グループがあり、お互いをライバル視していました。
視覚支援Gは、「椅子に1分座っていられたら、先生が子どもの口の中にお菓子を入れていたのよ。これじゃあ、動物の餌付けじゃないの!」と言い、行動変容Gは、「狭い衝立の中に閉じ込めて、先生は一言も発しないでカードを渡してたのよ。これじゃあ、人間じゃなくてロボット扱いじゃないの!」という具合に言っていたのを覚えています。
私は学生身分でしたので、両方の親御さんとも関わりがありましたし、両方の施設、支援者とも関わりがありました。
今思えば、学生身分をフル活用し、いろんな体験や人達と出会っていたことは今に繋がる良いことだったように感じます。
 
 
あれから15年のときが流れまして、全国的にみて、当時のようなゴリゴリの視覚支援、ゴリゴリの行動変容というような雰囲気はほとんどなくなったと思います。
よく言えば、いいとこどりで、悪く言えば、つぎはぎの支援という具合に、今は視覚支援を使いつつ、行動変容を目指し、感覚統合をベースに身体を育てていく、みたいな感じでしょうか。
子どもの数だけ正解があり、適切な支援がありますので、「他のアプローチは許さない」などはおかしな話であり、一つの療法で物事が完結できると考えることが間違いだといえます。
ですから、子どもの成長と共に、そのとき、今必要な支援、アプローチを選択していけば良いというか、それしかないと思います。
 
 
昨日は『発達と学習の違い』についてお話ししたので、今日はそれに関連した行動変容について綴っていこうと思います。
今、巷で言われている「行動変容」は、コロナにかからないように、コロナをうつさないように「一人ひとりの行動を変えていきましょう」という意味です。
その一人ひとりの行動を変えるために、変えてほしい側(国・行政)は知識と情報を提供する。
また行動を変えたらこんなメリットがありますよ(給付金)、行動を変えなければこんなデメリットがありますよ(事業者名公表)などを駆使し、変容を促していきます。
 
 
同じように支援や療育で言われている「行動変容」も使うものが違うだけで、アプローチの仕方は一緒です。
たとえば、多動の子がいてなかなか席に座っていられないとします。
その子に対し、席に座ることの大切さや、動きまわることで他者に与える影響を教えていきます。
またタイマーなどを提示し、「1分座ってられたら、チョコをあげるね」とメリットを与えたり、「授業中、離席が5回になったら休み時間なしね」とデメリットを与えたりして多動を減らし、席に座れる時間を長くしていくというのが療育的な行動変容です。
 
 
行動変容でのポイントは、随伴性だといえます。
簡単に言えば、A→Bという具合に、「席に座ったら→お菓子」「お手伝いをしたら→お小遣い」「テストで100点取ったら→ゲーム」と行動に伴う結果が明確に結びついているということです。
確かにこう見ると、ある面では動物の餌付けに見えますし、ある面ではどこの家庭でもやっていることのようにも見えます。
私達大人だって、仕事の半分くらいは我慢料であって、「働いたら→お金が貰える」というような随伴性を伴うからこそ、仕事をしている面もあります。
これが「働いても賃金が発生するかしないかわからない」というような状態ですと、や~めたという人が大勢出てくると思います。
ですから要は使いようです。
 
 
突然、赤ちゃんの話になりますが、乳幼児は同じ行動を繰り返します。
おもちゃを掴んでは落とし、掴んでは落としを繰り返したり、「いないいないばー」を喜んだり、自分が笑うとお母さんが笑うから、さらに微笑み、その反応を得ようとしたりします。
乳幼児は、この繰り返しや何かをしたら同じ結果が引き出せる、みたいな行動、遊びが大好きです。
古今東西、どこの国の乳幼児も同じ傾向があります。
つまり、この繰り返し、反応を引き出す、というのは子どもたちにとって大事な学習であり、その学習形態が随伴性、A→Bということになります。
 
 
乳幼児というのは、まだ感覚や認知の面で発展途上にあります。
特に赤ちゃんは、周囲の情報を得るための感覚が完全に育っていませんし、それを統合して意味理解する脳機能が未熟です。
そんな状態で繰り返す随伴性の遊びは、わからない情報だらけの世の中において、唯一、自分がコントロールでき、結果が予測できる手段となります。
「指を広げると、おもちゃが床に落ちるな」と思っているかは分かりませんが、おもちゃを持っては床に落とすといった行動を繰り返すことによって、自分の周囲の状況がごく部分的であったとしても知ることができる。
同時に、指を広げる(運動)と床に落ちるおもちゃを見る(視覚)が神経ネットワークでつながっていきます。
そうやって複雑な下界の一部を意味ある形で切り取ることができ、運動と感覚を結びつけるとともに、認知を育てていく『随伴性』という学習は、とても意義のある大事な行動だといえるのです。
 
 
自閉症の特性の中に繰り返し行動があります。
何度も何度も、同じ動作、行動を繰り返している子を見かけた人も多いと思います。
確かに不安から繰り返し行動をしている人もいますが、特に子どもさんの場合は、上記の随伴性を伴う学習をしている真っ最中ということもあります。
その見分け方は、やっているときの雰囲気が全然違うのでそこを見れば良いのですが、ポイントは未発達があるかどうか、どれくらいあるかになります。
上記でお話ししたように、乳幼児期に見られる行動ですので、乳幼児さんと同じように感覚が未発達、感覚と運動の結びつきが弱い、全体的に認知の面で遅れが目立つ子が行っているのは、不安だからではなくて学習しているのだと捉えて良いはずです。
不安は取り除かなければなりませんが、本人主体の学習をしている場合は、思う存分、まるで理化の実験のように、「これをやったら、こんな結果になるんだ」という体験を積み重ねてあげられる状況を保障してあげることが大切になります。
 
 
特別支援における「行動変容」というアプローチも、その子の認知、発達段階によっては有効だといえます。
しかし、とても守備範囲は狭いといえますし、本人の状態と不一致が生じると悪影響を及ぼすこともあります。
知識や情報を提供することによって、つまり、本人が理解し、分かった、じゃあ、変えよう、という段階、これができるだけの認知と発達状態の子に対しては、効果的なアプローチの一つだといえます。
また感覚面、運動面、認知の面で多くの課題、遅れがある子に対しては、アプローチの仕方がとてもシンプルなので、本人も理解しやすく、学習方法としては合っていると言えます。
 
 
ただし、「A→B」みたいな段階は、ある意味、乳幼児のレベルなので、それが適切な子、時期は限られていますし、当然、本人の発達が伸びてくれば、不適切な指導になってしまいます。
その辺を敏感に感じられるくらいでなければなりません。
よくあるのが、乳幼児期の発達、認知の段階を超えて子に対しても、継続して「〇〇をやったらお菓子ね」みたいにやってしまうことです。
それが通常になってしまいますと、ご褒美がないとやらない、物事を、人との関係性をも随伴性の中で捉えてしまうようになります。
本当は「A→B」などというシンプルな図式で成り立たない人との関係、人の気持ち、行動を理解できるようになる必要があるのに。
乳幼児期に有効な世の中の切り取り方で社会を見ると、見誤ってしまいます。
 
 
随伴性を伴う遊びは、世の中を知る入り口です。
その入り口付近に立っている子ども達には、どんどんやってもらったらよいですし、教える側もそのアイディアを使うと良いはずです。
でも、あくまでそれは入り口ですし、発達、成長と共に適さなくなります。
支援者に求められるのは、発達を中心としたアプローチの選択だといえます。
アプローチにこだわるのは、子の発達を犠牲にしますね。




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