2019年12月30日月曜日

【No.1001】2019年を振り返り

今朝、ジム納めに行ってきました。
昨日は上半身だったので、今日は下半身を重点的にトレーニング。
その後、日課のランニングマシーンへ。
いつものNHKのテレビ前ゾーンに行く(空いているから)と、今日は『あさイチ』ではなく、『スカーレット』の総集編。
荒木荘のシーンを見ると、ずっと前の出来事のような気がしました。
午後からは『いだてん』の総集編がやっているようですが、まだ本編が録画一覧になっているのでスルー。
今日の函館は、この時期としては珍しい+5℃以上の気温なので、テレビから年末を感じていたのでした。


今年を振り返ってみますと、幾度となく、「情報の垣根はなくなった」と感じる一年だったような気がします。
発達障害を、改めて“神経”発達障害と捉えることから始まり、OO群の存在が「治っていく人達がいるのも当然だよね」という空気感を形成しました。
発達に遅れがある子がいれば、原始反射の残存を確認するのは当たり前、運動発達のヌケを確認するのも当たり前、愛着という土台の発達を確認するのも当たり前。
それにプラスして、左右の脳の育ちのバランスと、栄養面の過不足の確認が、今年のトレンドだったような印象です。


数年前の「発達障害は治るかな、治らないかな」といったレベルから先に進み、「原始反射」「運動発達」「愛着」「右脳&左脳のバランス」「栄養」から、発達障害という状態を読み解き、育て、治していく段階へ。
発達障害を治す方向へ進んでいる人たちにとっては、親御さんも、専門家も、差はなくて、これらの認識、アプローチが基本となっていると感じます。
ですから、単純に「情報」という観点から言えば、親御さんも、専門家も、違いはありません。


別の見方をすれば、ひと昔前は、専門家は専門家と言うだけで、優位性を持つことができたといえます。
療育や支援、〇〇療法をやっている、というだけで、なんだか専門的なことをやっているように見えたし、それを受けることに価値があったような気がした。
それは、「きっと専門家というのは、私達よりも勉強しているし、専門的だろう」と思っていたし、専門的な知識、情報へアクセスも限られていたから。


でも、今はそんなことはなく、親御さんも、専門家と変わらず、意思と行動力があれば、専門的な情報を得ることができます。
なので、以前の「専門家/親御さん」という図式ではなく、「知る者/知らない者」「行動する者/行動しない者」という図式になっている。
そこに専門家の優位性はありません。
あるのは、結果のみ。


私がSNS等で学ばせてもらっている全国にいる実践家の方達は、その素晴らしい知見を惜しみなく発信されています。
私も時折、「相談メールやブログに情報載せ過ぎ」「無料開放し過ぎ」と言われることがあります。
しかし、この「情報」とやらに、どのくらいの価値があるのだろうか、と思うのが、正直なところです。
ここ最近感じるのは、情報の価値自体、限りなくゼロに向かって進んでいる、ということです。


これだけ情報に溢れている現代で、「情報を売る」「情報で飯を食う」というのは、どんどん難しくなると思います。
発達障害の世界も同じ。
これまで、どれだけの「自閉症の特性」「ADHDの人達の困り感」「LDの人達の見え方」などの情報が提供されたでしょうか。
そういった情報は、私が学生時代だったときとほとんど変わりがありません。
理解の焼きましでは、本人たちの苦しさは変わらないのは、もうどれほどの長い間、見てきたことでしょう。
私達がいくら彼らの生きづらさを理解したとしても、彼ら自身が変わらなければ、その生きづらさが軽減していくことはない。


周期的に輸入されてくる欧米産の療育も、ブームになっては消え、の繰り返し。
結局、根本的な解決に至らないのはどれも一緒であり、「部分的に、人によっては役に立つね」が妥当な評価。
残ったのは、その資格を持った普通の支援者達の集団であり、欧米に持っていかれたのはジャパニーズマネー、潤ったのは欧米の専門家と、その地域で療育を受ける人達。
以前は、「私がやって効果がなかったのは、私の勉強不足だから」と言っていた親御さんがいましたが、専門家でも効果が限定的なのが明らかになった現在、〇〇療法というアイディアの一つ、情報の一つくらいなものなのです。


喰えない情報は持っていても仕方がないし、効果的な情報は、親御さんも、専門家も、関係なく持っている。
ですから、私で言えば、私の持っている情報の価値はゼロ。
ということは、この商売を続けていくのなら、ほかの部分を売らなくてはいけません。
この前、ブログに書いた「情報を削っていく」というのも、まだ仕事になると思います。
また、手にした情報を、目の前の我が子の発達に馴染ませていく際のお手伝いも、いけるかもしれません。
他には、実際に関わった人数、アセスメントした人数は、親御さんよりは多いと思いますので、その子の発達の流れを読み、物語を綴っていく作業ができると思います。
まあ、確実に言えることとしては、「結果が出ないと仕事は終わり」ということ。
その結果とは、実際に親御さんが動けた、何かを変えられた、という結果と、子どもさんにポジティブな変化が見られた、という結果だといえます。



企業が常にサービスや商品の質を高めていくことが当たり前のように、支援者という商売も、常に質の向上を目指していかなければならない時代だと思います。
というか、今まで、その質が問われなかったのが問題だったのですが…。
今どき、親の会、なんとか支援センターに行って、真新しい情報など得られません、話は親身に聞いてくれると思いますが。
そういったところに行くよりも、書店やネットで、新鮮な情報を得ることができますし、早い。
ですから、支援者も情報ではなく、腕で評価されるようになるでしょうし、腕のない支援者は親御さんからそっぽを向かれるでしょう。


今までは、「治す方向で援助している支援者って珍しい」ということで、私の仕事が選ばれていた部分も多々あると思います。
ですが、もう治るのは当たり前ですし、家庭で治していけるものなので、そこでは商売できないはずです。


あと2日で、2020年代が始まります。
2000年代は、アスペルガー&高機能ブーム。
2010年代は、高機能の人達への支援の模索と限界。
2020年は、この20年間の反省から、特別支援の枠を超えてアプローチしていく人達が増え、今以上に、治る人や診断が外れる人が当たり前になっていくと思います。
この10年間で、診断基準の大きな改訂はないはずですので、診断名を持ち続ける人と、外していく人、その診断に頼らず生きていく人とに明確な分離が起きるでしょう。
その分離は、「発達を促していくか」「支援を受け続けていくか」の個人的な価値観、思考によって生じると思います。


さあ、2020年代は、どのような変化が起きてくるのか、私の仕事が続いているのか。
新しい〇〇療法も生まれるでしょうし、それを求める人もいるでしょう。
自分の子育てよりも、社会に理解や資源を求める人もいるでしょう。
でも、その人達は少数派になると思います。
社会は、治せる人を治さず丸抱えにするだけの体力は残っていませんし、今の子ども達が治り、社会の中にどんどん飛び立っていくからです。


元発達障害児という若者たちが、社会を変えていくでしょう。
そうなれば、心から嬉しいですし、私のような商売は必要なくなります。
腕が悪くてなくなるか、社会のニーズがなくなりなくなるか、はわかりませんが、目の前に来た2020年もその瞬間まで頑張っていこうと思います。
一年間、ブログを読んでくださった方、たくさんの貴重なお話を聞かせていただいた方、お仕事を依頼してくださった方、誠にありがとうございました。
皆さまにとって、2020年が、より良い一年となりますようお祈りしています!




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