『我がこと』と感じられているか

発達障害が「栄養で治る!」というと、嘘くさく感じます。
しかし、発達障害と呼ばれている人達の中に、消化器系を含む、栄養面の課題を抱えている人達が大勢いるのがわかります。
そういった人達の場合、栄養面が、その状態、症状と深く関係し合っていますので、栄養が改善すれば、ガラッと変わることもあるのです。
ですから、「発達障害が栄養で治る」のではなく、「栄養面に課題を抱えている発達障害の人達が、その改善によって治っていく」というのが、真実に近いと思います。


同じように、「発達障害が運動で治る」のではなく、「運動発達に課題やヌケを持っている発達障害の人達が、そこを育てなおすことによって治っていく」というのが、真実だといえます。
ということは、「発達障害が栄養で、運動で治るなんて、おかしい!」と叫んでいる人達は、読解力の問題?と思えちゃうわけです。


発達障害は症候群です。
それならば、ターゲットにすべきものは、その人が持つ一つ一つの症状のはず。
現在、なんらかの困った症状が出ている。
だから、その症状の背景、根っこを探っていく。
そうすると、「ああ、うんちに未消化物が多いよね。ということは、うまく消化、吸収できていないんだね。だったら、栄養不足かもね。発達に必要な栄養が足りてないかもね。そりゃ、発達の遅れが出るよね」となる。
で、栄養面からのアプローチによって、症状が改善し、治っていった人達がいるのだから、そこから学び、我が子の子育てに活かしていくのは、親として自然な姿。


このように考えると、栄養アプローチや運動、身体、言葉以前へのアプローチを行う人と、ハナから信じない人の違いは、子どもをしっかり見ているか、細かく見れているか。
その“見れているか”に関わるのは、親御さんや支援者自身の身体性です。
自分の身体的な感覚が乏しいと、それこそ、育っていないと、目の前にいる子に生じている現象を『我がこと』のように感じることができません。
となると、デジタルの情報のみで、頭主導で物事を処理していってしまいますので、発達障害という自分とは全く異なる別個の存在として認識してしまいます。


ですから、自分が睡眠不足になると、イライラするのに、我が子の睡眠障害には、「それも障害だからね」と、自分と分離させた反応をしてしまう。
目の前の我が子が苦しんでいたら、どうやったらラクにしてあげられるか、真剣に考え、行動するのが自然です。
でも、そこで行動に移せず、あわわあわわと一緒になって苦しんでいるのは、心と身体が一致していない証拠であり、そもそも動ける身体に育っていないわけです。
また、我が子が苦しんでいても、その苦しみに直接アプローチしないで、「自閉症に良い」みたいな習ってきたことをそのままやったりする。
それも、『我がこと』と感じられないことが、明後日の方向のアプローチへと進ませるわけです。


発達相談でも、「我が子が苦しむ姿を見て、私も辛い」と言われる親御さん達が大勢います。
しかし、同じ言葉でも、その雰囲気、意味合いは違う場合があります。
それは、我が子が苦しむ姿を見て、まるで自分の身体が切り刻まれているように辛さを感じられている場合と、「我が子が苦しむ姿がこの先も続いていかと思うと、自分が辛くなる」「どうやって対処したら良いか分からず、自分が辛くなる」という場合です。
つまり、自分の身体、感覚を通して、我が子の辛さを感じているか、その見える世界、デジタルな世界から辛いと思っているか。
発達相談で私が見るのは、その違いです。


どうして、そこを見るかといったら、『我がこと』と感じられている親御さんじゃないと、子どもの反応を見て、調整し、育んでいくことが難しいからです。
実際、たとえば栄養アプローチに効果がある人達であったとしても、どういったタイミングで、どういった進め方をしていけばよいかは、一人ひとり違いますし、同じ子であったとしても、成長や体調と共に変化していくものです。
なので、アプローチの入り口は一緒でも、完全オーダーメイド。
どんなに、その人にピッタリなスーツを作ったとしても、ヒトは生きているので、ずっと同じ体形はキープできないのと一緒。
神経の発達は、ヒトの体形以上に複雑で、変化が激しいものです。


私が家庭支援にこだわるのは、子どもだけにアプローチしても効果が乏しいから。
子どもの日々の変化、それこそ、本人の内側から出ている苦しみや発達の流れが感じとれないと、子どもを育てることはできても、本人の欲する環境、刺激を用意することができないのです。
栄養アプローチも、身体アプローチも、子どもの内なる声を無視し、「これが良いから良いから」と親御さんリードで進めていくと、決して良い方向へ進みませんし、見ていても育つスピードが遅いです。


あとは、その都度、「これで合ってますか?」というような確認が多くなるのもまずいです。
私を始め、支援者に依存し始めると、ますます子どもが見えなくなります。
それもまた、子どもの発達には望ましくないことなのです。
子どもを見て、それに応じた環境を用意するのが、発達の遅れ、ヌケを育てていくことだといえます。
そのために、子も、親も、より良く変わっていくことが大事ですし、お互い一つでも発達の遅れ、ヌケを育てることが必要です。


私の発達相談は、親御さんの発達課題を見つけること、その発達を後押しすることも含まれます。
それが、子どもがより良く育つ、第一、条件だからです。
自閉症児専門施設で、子どもを24時間365日預かり、支援しても、治らなかった。
それを実際体験してきた私だから言えることです。
どんな専門集団が預かったとしても、発達の土台は家庭であり、親子での育みが最も重要なのは変わりません。


親御さんも、自分の感覚、身体を整え、育て始めると、それまでの見方が変わってくるといいます。
実際、親御さんが変わり、それに同調するように、子どもさんが大きく変わっていった家庭もたくさんあります。
目の前の我が子を見て、『我がこと』のように感じられるか、感じたあと、すぐに身体を動かせるか。
そういった意味では、親御さんが治ることは、子が治ることとイコールなのかもしれません。

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