発達援助とは、川底にある石を1つずつ拾っていくようなもの
日頃、子どもさんと関わる機会が多いので、ふと、自分の子ども時代を振り返ることがあります。
私は、水が好きな子どもでした。
特に、流れる水を見るのが好きだったように思います。
砂場で山を作り、そこに穴や道を作り、水を流して遊んでいました。
川に行けば、葉っぱや木などを流し、それを眺めているのが好きでした。
川の中に石を置いて堰き止めたり、流れる方向を変えたり…。
海に行っても、泳ぐよりも波の動きを見たり、波打ち際で遊んだりする方が好きでした。
私の思いだす子ども時代の原風景には、水の流れがあるのです。
この仕事をするようになり、「発達の流れ」という言葉を良く使うようになりました。
その子の『本来の発達の流れ』がある。
でも、なんらかの原因によって、その本来の流れから外れたり、停滞したりしてしまっている。
受精から現在に至る流れの中で、どこから流れが変わったのだろうか。
なにが、その流れを堰止めているのだろうか。
どうやったら、本来の流れに戻れるだろうか、そのために私達ができることはなんだろうか。
私が発達障害をイメージするときは、子ども時代に見た川と、私がその中に置いた石が目の前に浮かんできます。
発達の流れを堰止めている石には、大きいものもあれば、小さいものもあります。
一人ひとり、その子その子によって、どんな石がどれくらいあるかは違っています。
大きな石がドンと流れを堰き止めていたり、小さい石が複数積み重なることで、流れに変化を与えっていることがあります。
その石とは具体的には、栄養不足&偏り、原始反射の未統合、感覚系の未発達、運動発達のヌケ、長時間のメディア視聴、環境汚染、人工的な刺激など。
これらがあると、本来の発達の流れを変えたり、発達自体を緩めたりすることに繋がります。
しかし、これらは、取り除くことができるもの。
つまり、発達援助の核が、ここにあるといえます。
定型の子も、発達障害の子も、水は流れている。
しかし、特に上流のところに、大きな石、複数の石があって、本来の流れから変わってしまっている。
そして、上流から中流、下流へと進む中で、水の勢いがなくなってしまっている状態。
それが「発達の遅れ」となって表れている。
私達が行うこととは、栄養や刺激、環境を整え、ヌケの育て直しをし、その子の本来の発達の流れに戻すこと。
私達が先導し、人工的に川の幅を広げることではなく。
本来の流れに戻れば、自然と治っていくもの。
子どもさんによっては、石が置かれているだけではなく、最初から川幅が狭い子もいますし、水の量自体が少ない子もいるのは事実です。
しかし、だからといって、石を取り除くことを怠って良いのか、といえば、そうではないと思います。
細くても、少なくても、その子の発達の流れ、水が流れ続けていけば、少しずつであったとしても、川底が削られ、より多くの水が流れるようになります。
重い知的障害を持った子ども達は、まさにこのようなイメージです。
でも、時間がかかったとしても、水が流れ続けていれば、自らの力で川を成長させることができるのです。
何故なら、知的障害が残っても、働き、自分の人生を主体的に生きている若者たちからは、小さな石をも一つ一つ丁寧に取り除いてきた親御さんの姿が見えるから。
私が「発達障害が治ったな」と思う子ども達は、川から石が取り除かれ、本来の自然な流れを取り戻した子ども達です。
流れ方は一人ひとり異なりますが、その子らしい流れが現れると、見ている私達にも心地良さが感じられます。
自然な川の音、流れは、エネルギーを与えてくれる。
発達の流れが戻り始めると、その子だけではなく、家族の皆さんも前向きに元気が出てくるのは、そういった理由からだと思います。
「発達障害を治す」というと、重機で川幅を人工的に変えていく、というイメージを持つ方もいるように感じます。
でも、「発達障害を治す」というのは、本来のその子の内側流れる発達の流れに戻すことであり、そのための石拾い、育て直しだといえます。
なにか、発達を堰き止めているものがあるならば、それを取り除けばいい、たった1つであったとしても。
栄養でも、環境でも、育て直しでも、私達にもできることはあります。
上流の石を取り除けば、下流の流れも変わってくるのです。
水は流れ続けさえいれば、濁ったり、枯れたりすることはなく、きれいな水を保ち続ける。
そのきれいな水は、魚や虫たちに恵みを与えることにもなります。
それはまるで、最初は自分のためだった発達が、誰か他の人のために活きてくる姿と重なります。
自分の資質を社会のために活かして生きている人は、皆さん、発達、成長の流れを止めずに、歩き続けている人達なのです。
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【関東出張に関して】*定員になりましたので、募集を終了いたします(12月17日PM10:15更新)
お問い合わせやご依頼があった方たちへは、すでにご案内しております。
2020年、年明け早々なのですが、関東地方に出張相談で伺います(1月2日~8日)。
すでに、1月4日(土)は一日決まっておりまして、他の日も数名のご家族と日程調整中です。
もし、「この機会に発達相談を」という方がいらっしゃいましたら、お問い合わせください(募集は今週いっぱいを目処に)。
⇒出張相談のご案内
私は、水が好きな子どもでした。
特に、流れる水を見るのが好きだったように思います。
砂場で山を作り、そこに穴や道を作り、水を流して遊んでいました。
川に行けば、葉っぱや木などを流し、それを眺めているのが好きでした。
川の中に石を置いて堰き止めたり、流れる方向を変えたり…。
海に行っても、泳ぐよりも波の動きを見たり、波打ち際で遊んだりする方が好きでした。
私の思いだす子ども時代の原風景には、水の流れがあるのです。
この仕事をするようになり、「発達の流れ」という言葉を良く使うようになりました。
その子の『本来の発達の流れ』がある。
でも、なんらかの原因によって、その本来の流れから外れたり、停滞したりしてしまっている。
受精から現在に至る流れの中で、どこから流れが変わったのだろうか。
なにが、その流れを堰止めているのだろうか。
どうやったら、本来の流れに戻れるだろうか、そのために私達ができることはなんだろうか。
私が発達障害をイメージするときは、子ども時代に見た川と、私がその中に置いた石が目の前に浮かんできます。
発達の流れを堰止めている石には、大きいものもあれば、小さいものもあります。
一人ひとり、その子その子によって、どんな石がどれくらいあるかは違っています。
大きな石がドンと流れを堰き止めていたり、小さい石が複数積み重なることで、流れに変化を与えっていることがあります。
その石とは具体的には、栄養不足&偏り、原始反射の未統合、感覚系の未発達、運動発達のヌケ、長時間のメディア視聴、環境汚染、人工的な刺激など。
これらがあると、本来の発達の流れを変えたり、発達自体を緩めたりすることに繋がります。
しかし、これらは、取り除くことができるもの。
つまり、発達援助の核が、ここにあるといえます。
定型の子も、発達障害の子も、水は流れている。
しかし、特に上流のところに、大きな石、複数の石があって、本来の流れから変わってしまっている。
そして、上流から中流、下流へと進む中で、水の勢いがなくなってしまっている状態。
それが「発達の遅れ」となって表れている。
私達が行うこととは、栄養や刺激、環境を整え、ヌケの育て直しをし、その子の本来の発達の流れに戻すこと。
私達が先導し、人工的に川の幅を広げることではなく。
本来の流れに戻れば、自然と治っていくもの。
子どもさんによっては、石が置かれているだけではなく、最初から川幅が狭い子もいますし、水の量自体が少ない子もいるのは事実です。
しかし、だからといって、石を取り除くことを怠って良いのか、といえば、そうではないと思います。
細くても、少なくても、その子の発達の流れ、水が流れ続けていけば、少しずつであったとしても、川底が削られ、より多くの水が流れるようになります。
重い知的障害を持った子ども達は、まさにこのようなイメージです。
でも、時間がかかったとしても、水が流れ続けていれば、自らの力で川を成長させることができるのです。
何故なら、知的障害が残っても、働き、自分の人生を主体的に生きている若者たちからは、小さな石をも一つ一つ丁寧に取り除いてきた親御さんの姿が見えるから。
私が「発達障害が治ったな」と思う子ども達は、川から石が取り除かれ、本来の自然な流れを取り戻した子ども達です。
流れ方は一人ひとり異なりますが、その子らしい流れが現れると、見ている私達にも心地良さが感じられます。
自然な川の音、流れは、エネルギーを与えてくれる。
発達の流れが戻り始めると、その子だけではなく、家族の皆さんも前向きに元気が出てくるのは、そういった理由からだと思います。
「発達障害を治す」というと、重機で川幅を人工的に変えていく、というイメージを持つ方もいるように感じます。
でも、「発達障害を治す」というのは、本来のその子の内側流れる発達の流れに戻すことであり、そのための石拾い、育て直しだといえます。
なにか、発達を堰き止めているものがあるならば、それを取り除けばいい、たった1つであったとしても。
栄養でも、環境でも、育て直しでも、私達にもできることはあります。
上流の石を取り除けば、下流の流れも変わってくるのです。
水は流れ続けさえいれば、濁ったり、枯れたりすることはなく、きれいな水を保ち続ける。
そのきれいな水は、魚や虫たちに恵みを与えることにもなります。
それはまるで、最初は自分のためだった発達が、誰か他の人のために活きてくる姿と重なります。
自分の資質を社会のために活かして生きている人は、皆さん、発達、成長の流れを止めずに、歩き続けている人達なのです。
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