『発達のヌケ』から一歩先に
『発達の“ヌケ”』という言葉は、初めて聞いた親御さんでも、すぐにピンときます。
「障害と言うよりも、“ヌケ”なんですね!」
「生まれつきでどうしようもないのではなくて、ヌケているから、そこを埋めていけばいいんですね!」
今日まで過ごした子どもとの数年間。
たった数年間ではあったとしても、そこにはその子の歴史があり、物語がある。
突然、現れた『発達障害』
うちの子は、本当に発達障害という存在なのだろうか。
そういった言葉にならない想い、『発達障害』という一言で片づけられてしまう状態に、ピタッとハマるのが、『発達のヌケ』という言葉なんだと思います。
たった二文字ではありますが、多くの親御さん達に前向きな気持ちと、「私がやろう」という行動の後押しをしてくれます。
たぶん、私がこの仕事を続けている限り、『発達のヌケ』という言葉は使い続けるはずです。
親御さんにとって、前向きな力を与えてくれる『発達のヌケ』という言葉。
ですから、親御さんの意識は、我が子のどこが“ヌケ”なのか、に向かいます。
一番分かりやすいのは、「ハイハイを飛ばした」というもの。
ハイハイをほとんどせずに立ったのは、そのときの家族にとってはハッピーな出来事だったかもしれませんが、本人の発達からしたら、アンハッピーな出来事。
こういった飛ばしは、家族の印象に残っていることが多く、そのニュアンスからも、発達のヌケを連想しやすいといえます。
他にも、印象に残っている動き、行動なんかが、そのまま、発達のヌケであることが多いので、親御さんも気づきやすいです。
そこを育て直すと、変わっていくのは確かです。
しかし、発達相談、出張の依頼で多いのが、「発達のヌケがわからないので、一度、確認してもらいたい」というものです。
この理由としましては、ハイハイなど、特別気になる運動発達のヌケはなかった場合と、ハイハイも抜かしていたけれども、他にも抜かしているところがあるという場合だといえます。
前者の運動発達に特別な問題はなかったお子さんの場合は、「本当に発達障害なのか?」という確認をします。
また、ハイハイができていたように見えても、実際、やり方が違ったり、身体の使い方が違ったりする場合もありますので、「本当にできていた?」「やりきっていた?」という確認もする必要があります。
結構、ご両親のどちらか、また両方ともが運動神経がよく、子も受け継いで、そのポテンシャルで寝がえりしたり、ハイハイしたりする子もいます。
形としてはできているんだけれども、重要なポイントである「足の親指が使えていない」ですとか、勢いをつけて寝返りをしちゃうパターンもありますね。
さらに今では、「栄養面は?」「環境面は?」「愛着面は?」「胎児期の居心地は?」「原始反射は?」など、イメージとしてはヌケというよりも、「神経発達の滞り」の理由探しみたいなこともやります。
そして後者のあちこちヌケていて、あれもこれも遅れていて、のお子さんの場合は、発達のヌケの根っこ探しを重点的に行います。
発達は階層なっていますので、いろんなヌケ、遅れがあったとしても、それらはお互いに連動し合っており、辿っていけば、最初の発達のヌケにぶつかります。
それが「おっぱいの吸いが弱い」にぶつかる子もいれば、「原始反射」にぶつかる子もいて、「お腹の中の発達」とぶつかる子がいます。
とにかく初期の発達のヌケが掴めれば、複数あるヌケ、遅れも育っていきますので、あれもこれもでどうしたらいいの状態のご家族には、根っこを掘り当てるのが私の使命となります。
いずれの場合も、やはり共通して、その子の物語を紡いでいく作業が重要だといえます。
今、「発達障害」と呼ばれる状態のお子さんがいる。
じゃあ、なんで発達障害と呼ばれているのだろうか、そういった症状が見られるのだろうか。
それをその子の受精から現在までの流れの中で確認していきます。
どの子にも、ある瞬間、そのときから本来、その子のあるべき発達の流れから外れたり、その流れ自体に滞りが生じた地点があります。
その地点からズレていった結果、その地点から滞りが始まった結果、今、「発達障害」と呼ばれる状態になっている。
その子の物語が出来上がれば、本来の子どもさんの姿が見えてきますので、そこに重なるように子育てをしていけば良いのです。
このようにして、その子の発達の物語を辿っていき、発達のヌケの根っこ、滞りが始まった地点を見つけ、そこから育て直しを行っていく。
シンプルに言えば、これが私の仕事であり、ニーズとしても中心だといえます。
そして一番、私の技量が求められるのが、私個人としても仕事の醍醐味なのが、発達のヌケがあった部分でも、育っている部分を見抜くことです。
子どもさんを見ればわかるのですが、全部が全部、ヌケがそのままの状態で残っているわけではありません。
同じように、滞りの部分も。
ヌケの状態にも、いろいろあって、少しヌケているところから、半分くらい育っている、以前はヌケていたけれども、育ちの中でヌケが埋まっているところもあります。
そこが親御さんによっては、見抜くのがとても難しかったり、なんだかしっくりこない、違和感として残るところだといえます。
意外に、もう大丈夫、育ったと思っていたところが、発達のキーだったりすることもあります。
なので、見抜けるかどうかが重要です。
まあ、たいそうなことを言っていますが、大事なのは、その子の物語が描けるかどうか。
その子の物語、発達の流れが掴めれば、「たぶん、ここもヌケていたよね」というところがわかります。
何故なら、発達は階層になっているし、ほぼ順番が決まっているから。
じゃあ、ヌケていたはずの部分が育っているのは、どうしてだろうか?
本人の力?あの遊びが良かった?保育園の先生との出会い?親御さんの子育ての方向性が合っていた?
こういった連想が生まれると、さらにより良い発達援助、子育てが見えてくるものです。
「ヌケていた部分が埋まっている」は、無意識の中で、自然な生活の中で育った部分ですので、そこが子どもさんにも、家族にとっても、資質に馴染むあり方だといえます。
これを活かすのが、治る近道。
『発達のヌケ』は、見事に親御さん達の心、違和感を表した言葉です。
だからこそ、多くの親御さん達が、この言葉で前向きに行動することができるのだと思います。
こういった心に響く、そして後押しする言葉だからこそ、さらに一歩深めるというか、深いところまでつなぐのが、仕事として携わっているものの役割であり、使命なんだと近頃、考えるようになりました。
「ヌケているのなら、育てればいい」からの一歩先です。
私の理想は、親御さんが、子育ての中で、発達のヌケを育て、治していくというもの。
その理想、ある意味、自然な姿に向けて、どうやって一歩進めていくか、私に何ができるのか、どういった仕事をしていくべきか。
新たな課題に対する答えは、日々の発達相談、援助を通して、答えを見つけていきたいと考えています。
これは2020年に持ち越しの課題ですね。
「障害と言うよりも、“ヌケ”なんですね!」
「生まれつきでどうしようもないのではなくて、ヌケているから、そこを埋めていけばいいんですね!」
今日まで過ごした子どもとの数年間。
たった数年間ではあったとしても、そこにはその子の歴史があり、物語がある。
突然、現れた『発達障害』
うちの子は、本当に発達障害という存在なのだろうか。
そういった言葉にならない想い、『発達障害』という一言で片づけられてしまう状態に、ピタッとハマるのが、『発達のヌケ』という言葉なんだと思います。
たった二文字ではありますが、多くの親御さん達に前向きな気持ちと、「私がやろう」という行動の後押しをしてくれます。
たぶん、私がこの仕事を続けている限り、『発達のヌケ』という言葉は使い続けるはずです。
親御さんにとって、前向きな力を与えてくれる『発達のヌケ』という言葉。
ですから、親御さんの意識は、我が子のどこが“ヌケ”なのか、に向かいます。
一番分かりやすいのは、「ハイハイを飛ばした」というもの。
ハイハイをほとんどせずに立ったのは、そのときの家族にとってはハッピーな出来事だったかもしれませんが、本人の発達からしたら、アンハッピーな出来事。
こういった飛ばしは、家族の印象に残っていることが多く、そのニュアンスからも、発達のヌケを連想しやすいといえます。
他にも、印象に残っている動き、行動なんかが、そのまま、発達のヌケであることが多いので、親御さんも気づきやすいです。
そこを育て直すと、変わっていくのは確かです。
しかし、発達相談、出張の依頼で多いのが、「発達のヌケがわからないので、一度、確認してもらいたい」というものです。
この理由としましては、ハイハイなど、特別気になる運動発達のヌケはなかった場合と、ハイハイも抜かしていたけれども、他にも抜かしているところがあるという場合だといえます。
前者の運動発達に特別な問題はなかったお子さんの場合は、「本当に発達障害なのか?」という確認をします。
また、ハイハイができていたように見えても、実際、やり方が違ったり、身体の使い方が違ったりする場合もありますので、「本当にできていた?」「やりきっていた?」という確認もする必要があります。
結構、ご両親のどちらか、また両方ともが運動神経がよく、子も受け継いで、そのポテンシャルで寝がえりしたり、ハイハイしたりする子もいます。
形としてはできているんだけれども、重要なポイントである「足の親指が使えていない」ですとか、勢いをつけて寝返りをしちゃうパターンもありますね。
さらに今では、「栄養面は?」「環境面は?」「愛着面は?」「胎児期の居心地は?」「原始反射は?」など、イメージとしてはヌケというよりも、「神経発達の滞り」の理由探しみたいなこともやります。
そして後者のあちこちヌケていて、あれもこれも遅れていて、のお子さんの場合は、発達のヌケの根っこ探しを重点的に行います。
発達は階層なっていますので、いろんなヌケ、遅れがあったとしても、それらはお互いに連動し合っており、辿っていけば、最初の発達のヌケにぶつかります。
それが「おっぱいの吸いが弱い」にぶつかる子もいれば、「原始反射」にぶつかる子もいて、「お腹の中の発達」とぶつかる子がいます。
とにかく初期の発達のヌケが掴めれば、複数あるヌケ、遅れも育っていきますので、あれもこれもでどうしたらいいの状態のご家族には、根っこを掘り当てるのが私の使命となります。
いずれの場合も、やはり共通して、その子の物語を紡いでいく作業が重要だといえます。
今、「発達障害」と呼ばれる状態のお子さんがいる。
じゃあ、なんで発達障害と呼ばれているのだろうか、そういった症状が見られるのだろうか。
それをその子の受精から現在までの流れの中で確認していきます。
どの子にも、ある瞬間、そのときから本来、その子のあるべき発達の流れから外れたり、その流れ自体に滞りが生じた地点があります。
その地点からズレていった結果、その地点から滞りが始まった結果、今、「発達障害」と呼ばれる状態になっている。
その子の物語が出来上がれば、本来の子どもさんの姿が見えてきますので、そこに重なるように子育てをしていけば良いのです。
このようにして、その子の発達の物語を辿っていき、発達のヌケの根っこ、滞りが始まった地点を見つけ、そこから育て直しを行っていく。
シンプルに言えば、これが私の仕事であり、ニーズとしても中心だといえます。
そして一番、私の技量が求められるのが、私個人としても仕事の醍醐味なのが、発達のヌケがあった部分でも、育っている部分を見抜くことです。
子どもさんを見ればわかるのですが、全部が全部、ヌケがそのままの状態で残っているわけではありません。
同じように、滞りの部分も。
ヌケの状態にも、いろいろあって、少しヌケているところから、半分くらい育っている、以前はヌケていたけれども、育ちの中でヌケが埋まっているところもあります。
そこが親御さんによっては、見抜くのがとても難しかったり、なんだかしっくりこない、違和感として残るところだといえます。
意外に、もう大丈夫、育ったと思っていたところが、発達のキーだったりすることもあります。
なので、見抜けるかどうかが重要です。
まあ、たいそうなことを言っていますが、大事なのは、その子の物語が描けるかどうか。
その子の物語、発達の流れが掴めれば、「たぶん、ここもヌケていたよね」というところがわかります。
何故なら、発達は階層になっているし、ほぼ順番が決まっているから。
じゃあ、ヌケていたはずの部分が育っているのは、どうしてだろうか?
本人の力?あの遊びが良かった?保育園の先生との出会い?親御さんの子育ての方向性が合っていた?
こういった連想が生まれると、さらにより良い発達援助、子育てが見えてくるものです。
「ヌケていた部分が埋まっている」は、無意識の中で、自然な生活の中で育った部分ですので、そこが子どもさんにも、家族にとっても、資質に馴染むあり方だといえます。
これを活かすのが、治る近道。
『発達のヌケ』は、見事に親御さん達の心、違和感を表した言葉です。
だからこそ、多くの親御さん達が、この言葉で前向きに行動することができるのだと思います。
こういった心に響く、そして後押しする言葉だからこそ、さらに一歩深めるというか、深いところまでつなぐのが、仕事として携わっているものの役割であり、使命なんだと近頃、考えるようになりました。
「ヌケているのなら、育てればいい」からの一歩先です。
私の理想は、親御さんが、子育ての中で、発達のヌケを育て、治していくというもの。
その理想、ある意味、自然な姿に向けて、どうやって一歩進めていくか、私に何ができるのか、どういった仕事をしていくべきか。
新たな課題に対する答えは、日々の発達相談、援助を通して、答えを見つけていきたいと考えています。
これは2020年に持ち越しの課題ですね。
コメント
コメントを投稿