子育ての喜び、親子の時間の楽しさ

今年、出張で伺ったご家族から丁寧なメールを頂戴しました。
お子さんに大きな変化が見られたこと。
我が子の発達、成長をそばで見て、心から嬉しく思っていること。
そして、診断を受ける前のような子育ての喜び、親子の時間の楽しさを再び感じられるようになった、と記されていました。
『子育ての喜び』『親子の時間の楽しさ』
この二つの言葉を目にしたとき、私は今の事業を起ち上げて良かったと心から思うことができました。


今は、こうして発達障害専門の仕事を起ち上げ、行っていますが、大学に入るまでは、自閉症という言葉すら知りませんでしたし、障害を持った人と関わったこともありませんでした。
しかし、障害を持った子ども達のボランティア活動に参加したことから、自閉症、発達障害を持った子どもさんとご家族との縁が生まれ、今に至ります。


学生時代は、主に放課後の余暇支援ボランティアを行っていたのですが、そこで出会った家族の姿に衝撃を受けました。
全員が全員ではありませんでしたが、私には我が子との時間を苦痛に感じているような家族が多かったように感じます。
「どうやって放課後を過ごそうか」
「今日は、午前授業だ、どうしよう」
「夏休みが近づいてくると憂鬱だ」
顔を引きつりながら、ときに我が子に余所余所しく、中には心身を病む方も…。
当時は小学校の教員を目指していましたし、それまでまったく知らない家族の姿でしたので、とても心が揺さぶられたことを覚えています。


学生時代、そして自閉症児施設で支援員として働き始めたときも、ずっと「何故、障害を持った子の家族は、子育てや家族の時間を楽しみ、喜べないのだろうか」と疑問に思い続けてきました。
その中で、教育の問題、医療・診断の問題、療育の問題、福祉の問題を感じました。
みんな綺麗事は言うけれども、実際、家庭で問題が生じても、誰も本気で向き合おうとしない。
というか、ほとんどアイディアを持っていない。
「家庭でのことに足を突っ込むと、それで解決しなかったとき、責任問題になるから」
そんな教員、支援者達の本音は、幾度となく耳にし、幾度となく憤りを覚えました。
ですから、私は24時間365日の施設職員になり、そこで学んだことを地域に還元したいと想い、家庭支援サービスを起ち上げたのです。


私の事業の理念は、この学生時代に見た現実と繋がっています。
「子育てを楽しめる家族を増やしたい」
子育てを楽しめるというのは、おもしろおかしく過ごせればいい、というものではありません。
子育てを楽しめるかどうかは、子どもの成長が中心だと思います。
子どもは成長している自分が楽しみであり、喜びである。
そして、その成長した姿を見ている家族も楽しみであり、喜びである。
当然、家族でいれば、ハッピーなことばかりではありませんが、それでも日々、成長を感じられることが、家族の絆を深め、「ああ、この家族で良かったな」という想いに繋がっていくと思います。
そういった前向きな想いが、子の成長を後押しし、自分の足で自分の人生を歩むまで育つこととなる。


結局、学生時代に見てきた家族には、中心となる成長がなかった、感じられなかったのだと思います。
大変なこともあるけれども、少しずつではあるけれども、子どもが成長している、将来の自立に近づいている。
そのようなことを感じられれば、もっと違った家族の空気感、前向きな姿があったと思います。
しかし、問題が生じても誰も力になってくれない、成長よりも安定して毎日が過ごせるように、また今日も構造化しなきゃ、スケジュール組み立てなきゃ…。
この先もずっと同じことが続くのか、何も変化しないのか、結局、卒業後は施設なのか。
そういう想いがあれば、我が子との時間を苦痛にすら思えてくるのかもしれません。


私は、子どもの成長を後押しすることで、より良い親子の関係、家族の時間、何よりも子育ての喜びを感じてもらいたいと思い、この仕事を続けています。
ですから、冒頭で紹介したようなご家族がいると、事業の目的が果たせたと感じるのです。


私が学生だった頃は、資源が乏しく、根本から解決するようなアイディアもありませんでした。
そのことが、家族を苦しめ、子育てを楽しめないことに繋がっていたと思います。
でも、今は資源と情報に溢れ、そのことが却って、子育てを楽しめないことに繋がっているように感じます。
「療育を受けなきゃ」「支援を受けなきゃ」
幼い子を抱きかかえながら、療育機関に通う姿。
就学が近づいてくれば、普通級にしようか、支援級にしようか、児童デイはどこがよくて…。
しかし、その多くは、症状の改善や根本的な発達を目指したものではなく、結局、子どもが変わっていくわけではない。
そうすると、ますます親御さんは焦り、別のところに問題を解決してくれるものがあるはずだ、と走りだす。
全国、いろいろなところに出張させてもらいますが、理由は変われど、まだまだ子育てを楽しめない、苦痛にすら感じているご家族が少ないような気がします。


家庭に訪問させていただいたとき、子どもさんの発達のヌケ、課題の根っこを確認することと同じくらい、親御さんの想いを感じることを大事にしています。
今、どのような親子の関係性なんだろうか、家族の時間を過ごしているのだろうか。
そういった家族に流れる空気感を感じつつ、その家族にあったより良い子育てを提案したいと考えています。
「どうやって育てたら良いか」「治したらいいか」だけではなく、どうやったら、「その家族らしい子育てができるだろうか」という視点です。
親御さんの資質に合った、資質を活かした子育てにならないと、親御さんが心から楽しむことができませんので。


冒頭のご家族とは違いますが、幼少期診断を受けてから、「このままでは、知的障害で勉強が遅れる」と思い、幼稚園とは別に家庭で教科学習を続けていたご家庭がありました。
しかし、結論から言えば、感覚系を育てる前に、そこの未発達が育つ前に、アカデミックスキルを詰め込んだため、ますます発達の凸凹が大きくなってしまっていました。
ですから、就学後でも文字や計算は遅くなく、むしろ、今は発達の土台を育てる方が重要だと伝え、そこから勉強は一切やめ、親子で思いっきり自然の中で遊ぶようにしたのです。
それから半年が経ち、いわゆる空気が読めるような子になり、今では幼稚園のお友達と遊べるようになりました。
親御さんからは、「今、子育てが楽しいです」「子どもと一緒に泥んこになって遊ぶのが喜びです」という言葉をお聞きしました。


発達の土台は、家庭生活であり、その一番の仲間は家族です。
親御さんほど、子どもの発達を後押しできる存在はありません。
そして何よりも、子ども自身に、子どもの内側に発達する力を持っていて、自分に足りないところややり残したことがあれば、それに気づき、自ら育て直しを行うのです。
子どもの内なる発達の力を信じないものは、どんな専門家であったとしても、彼らをより良く育てることはできない、と思っています。


親子の間での悲しい事件が絶えません。
権威ある専門家だといえども、一人の命を救うこともできないのです。
悲惨な現実には、手も足も出ない。
専門家も、支援者も、教員も、その力は微々たるもの。
ですから、私はその微々たる力と、私の生きる時間を、「子育てが楽しい」と思える、その瞬間のために使いたいと思います。
一人でも多く、「ああ、子育てが楽しいな」「この家族で良かったな」と思える親御さんを増やしていく。
そのための発達相談であり、発達援助であり、治るということ。
これが私の事業の理念です。

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