子どもの発達を止めるのは難しい

発達障害は、発達しない障害のことを表すのではないのですから、今、この瞬間にも発達しています。
特に神経発達が盛んな子ども達は、息をするように発達する。
ですから、子ども達の発達を止めようとするには、それなりの覚悟と労力がいるのだと思います。


子どもの発達を止めるには、刺激を与えないのが一番です。
神経発達の一番の栄養素が刺激だからです。
ひとたび、刺激が得られれば、待ってましたと神経が反応し、全身に電気が流れます。
そして繰り返し刺激が駆け巡れば、神経が伸び、繋がりが強くなっていく。
よって、大元の刺激を遮断するか、刺激が少ないような単調な生活、変化のない生活へと環境を調整するのが、発達を食い止めるには有効です。


「子どもの成長が見られない」「変化がない」と嘆く方がいます。
先に述べたように、子どもは息をするように発達するのですから、その人からは見えていないだけで、子どもの内部では神経が踊っている、ということもあります。
そんなときは、「まあまあ、もうちょっとお待ちになって」と言えば、私の仕事はおしまいです。


しかし、悲しいことに、「そりゃあ、そんな刺激のない生活を続けたら、無理もない」という場合もあります。
パニックを起こさないように、問題行動を起こさないように、が結果として、子どもから刺激を奪うことになる。
問題を起こす機会と発達を起こす刺激の物々交換です。
自分で交換しといて、あとから文句を言うのはよろしくありません。


また「子どもに変化が見られない」には、実は変化している、成長している、ということもあります。
一言で言えば、伸びる方向の違いです。
子どもの持つ躍動する発達を人工的な環境の適応に、特別な文化の学習に向かわせているのです。
社会に出る前の学び舎が、社会から陸続きではなく、分断されていると、その特殊な環境に適応しようと動き出します。
家と学校と児童デイで見せる顔が違う、というのは、それぞれの環境に適応するためにエネルギーを使っているとも言えます。
「場所場所で異なるルール、教え、文化を学ぶのを頑張っているよ。だから、神経の発達よりも、将来の自立よりも、こっちの勉強頑張ってる」という声が聞こえます。


社会では使えないSST。
助けるはずの構造化が必要なくなったけれども使ってます、からの特殊な手続きの習得。
良い行動にはご褒美、悪い行動には無視が、これまた特殊な手続きとなり、同時に支援者の価値観の学習になる。
子どもに変化がないのではなく、特殊な文化の学習に費やしているだけということもあります。
「息子さん、ちゃんと成長していますよ。〇〇という文化を学び、身に付けているでしょ」
親御さんはあっけにとられます。
学校に、児童デイに適応しているし、特別支援を、〇〇療法を学習している。
社会の基準、自立という目標、発達障害を治す、という視点で見れば、変化がない。
だって、それとは異なるベクトルに向かって成長しているのですから。


子どもの成長、神経の発達を止めようとするのは、とても難しいことです。
敢えて止めようとしなければ、止まりません。
ですから、「無理させない」「失敗させない」「変化させない」は、「ありのまま」よりも良くないといえます。
刺激や変化が統制された環境にいるよりは、何もしない方がよっぽど発達、成長する機会があります。
それ特別支援だ、それ〇〇療法だ、と言っていない時代の子ども達の方が自立していく人が多い。
逆を言えば、特別支援にどっぷり浸かっている人で自立していく人がほとんどいないということであり、それが何よりの証拠。
今みたいに、知的障害のない人がバリバリ福祉を利用しているのは、特別支援の産物とも言えます。
社会に出るための特別支援ではなく、社会と分断され、離れた特別支援は特別支援のための特別支援。
特別支援という文化への適応であり、学習になります。
変化、成長がないのではなく、特別支援という方向へ成長、発達しているということ。


特別支援を止めたら、成長、変化が見られることもあります。
「やっぱり合っていなかったんですね」と相談者から言われることもありますが、合う合わないではなくて、刺激を与えなかったら伸びるものも伸びないだけ、特殊な環境に適応し、学習していただけです。
子どもが伸びない、変化がない、というのは珍しいことなのですから、そういったとき、私は「お子さんが受けているのは、特別支援教育ではなく、特殊教育ですね」と言うのです。

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