特別支援の正体

ある日、突然、養護学校は特別支援学校へと名前を変えた。
子ども達は、障害を持っているのではなく、特別なニーズを持っている子ども達になった。
発達支援センターができ、児童デイもどんどん生まれていった。
そして、それまでは支援の対象ではなかった子ども達も、それらのサービスを利用することができるようになった。


大規模な福祉施設からグループホームへ、人里離れた福祉施設からより地域生活の中心地へと社会の空気は流れを変えていった。
ある意味、養護学校時代の象徴と言うべき施設で働いていた私にとっても、これから始まる特別支援は期待を寄せる変化だった。
早期から、そして軽度の子達も、一人ひとりに合った支援を受けられることで、より良い成長と未来へと進んでいけると思っていた。
きっと彼らが大人になったときは、それまでの時代とは異なり、障害のあるなしの線は薄れ、多くの人には見えない線になると思っていた。


今、当時を振り返り、改めて特別支援を見ようとしても、その姿を捉えることはできません。
特別支援とは何ぞや?という問いに、明確な答えが見つからないのです。
私達が「大きく変わる」と感じた空気感は、今も空気のままだった。
いや、今も当時も変わらず、特別支援とはもともと空気だったと私は感じるのです。


それぞれの立場で期待を寄せていた特別支援。
でも、実際は特別支援という何か具体的なものがあるのではなく、それは空気でした。
「何かが変わるぞ」という空気。
その空気に期待を寄せていた人達が多くいた一方で、特別支援とは実態のないもので、空気のような存在であることにいち早く気が付いた人達がいます。
それが一部の支援者たちです。


その支援者たちは、空気を先導し、作る役割を与えられた人達でした。
「特別支援によって、障害を持った子ども達の未来は変わる」という空気を流しました。
その空気は心地良く、本人や家族たちの期待と合わさり、大きな風を生みました。
その風を受け、支援者たちは全国を、また世界を飛び回ったのです。


全国、世界を飛び回っている支援者の姿を見ていた人達は、「自分たちのより良い明日のために、支援者たちが頑張ってくれている」そう思っていました。
しかし、一向に自分たちの元にやってこないのです。
やってきたかと思えば、輸入してきた知識や技能を披露するだけで、いつの間にか、共に頑張るという姿が見えなくなりました。
彼らは一段高い位置から、本人や家族、その他の支援者を見るようになった。


今にして思えば、空気を先導し、作っていた支援者たちの多くに、本人や家族の期待という空気を勘違いする要素があったことが始まりだったように感じます。
彼らにはコンプレックスがあり、愛着形成に課題があった。
また彼らは支援者であったが、当事者の家族でもあった。
だから、特別支援が目指した自立が、真の自立にはならなかったのです。
私達がいう自立は、一人で生きていくための自立。
でも、彼らは口で「自立」と言いながら、心の底では自立してほしくなかった、自分から離れていってほしくはなかった。
彼らの求めていた自立は、自分たちの手の届く範囲での自立であり、自分と当事者、家族が穏やかに暮らせる楽園であった。


そもそも特別支援が始まる前にも、一人ひとりに合わせた支援は存在していました。
本人や学校、家族、地域の人達の間で、みんな自立を目指しての試行錯誤が行われていました。
何も特別支援が始まって初めて、障害を持った子たちへの教育、支援が行われたのではありません。
特別支援が始まる前から、成長し、自立していく障害を持った人達はいました。
「それは今と時代、社会が違うから」と言われるかもしれませんが、今で言えば、知的障害を持った人が一般就労をして生活し、家族を作って生活している人もいます。
特別支援はありませんでしたが、彼らには今よりも自由と選択があったと感じることもあるのです。


特別支援とは、空気のようなもので、掴もうと思っても掴むことができないものです。
ですから、支援者は見えない空気に線を引く作業を行いました。
「ここからは支援が必要ね」「ここからは私達の範囲ね」って具合に。
そして、その線がいつしかどんどん広がっていき、また線の色も濃くなっていきました。
それがこの10年間の特別支援だったように感じます。
結局、特別支援の範囲は広がったけれども、その範囲にいる人達が求めている自立は進んでいかなかった。
むしろ、一度引かれた線の内側に入った人を出ていかないようにするのが支援であり、線の内側をどれだけ支援者を含めた当事者たちにとって楽園にするかが目的地だったようにも見えます。


今こそ、特別支援が生まれた当初の空気感を思い出す必要があると思います。
障害を持った人も、持っていない人も、同じ地域で自立して生きていく社会が私達の望んでいた未来ではなかったでしょうか。
「スペクトラム」なんて言葉が流行ったように、人はみんなつながっており、人と人との間に線引きするのが目的ではなかったはずです。
どんな人も自分の資質を活かし、そして自分と社会の幸せのために生きていけるような多様性のある社会を目指していたのだと思いますし、そういった社会がやってくるのです。


今の特別支援は、支援対象者を区別し、サービスを区別し、選択を区別するような流れがあります。
これは支援者側が作った特別支援だということが明らかです。
本来、特別支援とは本人と家族、そして社会のために生まれたはず。
支援者のために特別支援が生まれたわけではないことのです。
支援者に特別な権限を与え、本人を特別扱いするのを特別支援と言うのなら、私はまだなかった時代の方が良かったと思うのです。

コメント

このブログの人気の投稿

【No.1358】体軸が育つ前の子と、育った後の子

【No.1364】『療育整体』を読んで

【No.1370】それを対症療法にするか、根本療法にするかは、受け手側の問題