2018年4月10日火曜日

特定の療育への傾倒が自立を遠ざけていく

「うちの子には、〇〇療法が合っているんです」と話す親御さんの横で、目が笑っていない子が立っていたりする。
特定の療育が話題の中心になると、熱量が高いのはいつも本人じゃない人。
熱量のバランスが崩れている親子、支援者と本人というのはよく見る姿であり、往々にして本人が伸び切れていない状況があります。
こういったとき、私は「特定の療育への傾倒は本人を救うものではない」と思うのです。


特定の療育への傾倒は、親を救い、支援者を助ける。
そんな風に私は感じます。
特定の療育に傾倒することで、親は主体性を預けることができます。
本来、子を育てるとは、試行錯誤、選択の連続です。
その試行錯誤、選択には、自分の中に軸がなければできません。
その軸を特定の療育に移譲することで、主体的に行動しなくて済むようになります。


主体性がなければ、ただただ特定の療育を信じ、求めるだけで良くなるのです。
そこにセンスや腕、責任などの個人が問われなくなる"間"ができます。
熱心さが唯一の価値基準になる。
ただ一心に求めるだけで、特定の療育を信じあう集団の中では、子ども想いの良い親として振る舞うことができる。
そして、その集団の中では、自分の居場所が確保され、生きやすくなる。


特定の療育だけで、すべてが万々歳、自立して生きていける、ということはありません。
その限界には、特定の療育を提供する支援者だって気が付いています。
何故なら、あまたある療育方法のほとんどが対処療法であり、対処の連続は真の意味での自立を生まないからです。
対処療法は、対処し続けることで、自立“的”な生活を送る、というのが目標になります。
私達がイメージする『自立』は、根本から育ち、治すことでしか達成されません。


本人の自立が中心でないとしたら、支援者の見る向きは親となります。
『自立』は本人の言葉、『対処』は本人以外の言葉。
「私は自分のことを対処します」「僕はこれからの生活に対処していきます」とは言いませんので、対処療法の対処をするのは、親御さんになるのです。
よって、対処し続ける親御さん、対処を気に入ってくれる親御さんが、特定の療育を存続させる土台になります。
自分のところの療育に傾倒してくれる親御さんを支援者が励まし、褒めたたえるのは、自分たちを助ける存在だからです。


「私には〇〇療法しかありません」「〇〇療法じゃなきゃ嫌だ」
そんな風に訴える子どもはいません。
特定の療育にこだわるのは、親の趣味嗜好であり、子ども達にとってはラクになれて、より良く成長できる方法だったら、何でも良いはずです。
子ども達が求めているのは、自分にとって“いいとこどり”。
ですから、特定の療育にこだわる家庭の子ども達は、いつも息苦しそうに見えるのです。
特定の枠組みが、本人の発達、成長、可能性よりも小さい場合がたくさんあります。


特定の療育にこだわる親御さんのお子さんは、重い知的障害を持っていたり、明確な発信がみらえれないことが多いです。
またそうではない場合も、本人の主体性が育っていないことが多いといえます。
本人に主体性、選択する力、訴える力があれば、特定の療法にこだわる状況など生まれないのです。
本人が必要な方法を選び、合わなくなった方法は切り捨てていくからです。
それが自然な成長する姿であり、自立への道。
特定の枠組みの中に立ち続けることが、居心地悪くなるからこそ、自立への一歩を踏みだすことができるのです。


特定の療育への傾倒していくのは、自分の居場所を求めているのだと思います。
でも、特別支援の中に居場所を求めるのは、本人ではありません。
本人たちは、社会の中に自分の居場所を作りたいと思っているはずです。
特定の療育や支援者からの支援を受けているうちは、自立できません。
子ども時代は親が一番の支援者であり、成長するにつれて、一番の支援者が自分自身に移り変わっていく。
自立とは、自分で自分のことを支援できる状態を指すのだと考えています。
特定の療育に傾倒していけばいくほど、自立が遠のいていくのは、こういった理由があるからだと私は思うのです。

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