2016年10月6日木曜日

ギョーカイ語を介さずに、その人と触れあえる支援

施設で働いていた頃、毎日、一人ひとりの利用者さんの行動記録を書いていました。
今はありませんが、「自閉症児施設」でしたので、自閉症の特性を意識して記述していく必要がありました。
またトレーニングでも、必ず「自閉症」という文字を書いて記録を書くこと、保護者や他の支援者に説明するときにも、同じように「自閉症」という言葉を使うことを指導されました。


そういった流れで、今の事業を始めてからも「自閉症」という言葉を使って説明したり、報告書等を作成したりしていました。
でも、いつからか「自閉症」という言葉を使わなくなり、「発達障害」という言葉を好んで使うようになりました。
それは、発達を後押しする方法を教えてもらったから、発達していく人たちを見たから、だと思います。
「発達の障害」とも読めるのに、「自閉症」という言葉よりも、発達に向かった“動き”を感じるのが面白いです。
「発達障害」という言葉に、「やりようがある」「変わるチャンスがある」「成長できる」という想いを乗せて使っていたような気がします。


ところが最近、「発達障害」という言葉を使うのも止めている自分がいました。
「どうすれば生きやすくなるか?」「どうすればより良い未来になるか?」が大事なのであって、その後押しをするのが自分の役目という想いがより強くなりました。
ですから、「ちゃんと眠られるようになったら、頭も、身体も、ラクになるな」とか、「コミュニケーションが“相手とのやりとりである”って実感できれば、学校でも良い関係性が築けるな」というように、ちょっとでもポジティブな変化が訪れたら良いなって単純に思い、行動する自分がいます。


「発達のヌケや遅れを発達させる方法を教わりました。自閉脳と相性の良い方法を勉強し、実践してきました。その中で、あなたのお役に立てるものがあれば、提供します」というシンプルな気持ちでいます。
私が持っているアイディアが誰かのお役に立てるのなら、その人が自閉症か、発達障害か、なんて関係ありません。
みなさんが求めているのは、生きやすくなる方法、成長できる方法であって、自閉症支援でも、療育でもないと思います。


このように自然と思えている私は、今、とてもスッキリした気持ちで仕事ができています。
自閉症や発達障害という言葉を使わずに支援していると、「人が人を支援している」というイメージが湧いてきます。
人が人を支援しているとき、その間には「自閉症」「発達障害」という言葉は不要なようにも感じます。
人と人とのシンプルな関係になれれば、真の協働が生まれてくるんだという実感があります。


「自閉症」や「発達障害」などの診断名、「視覚的構造化」「課題分析」「コミュニケーションカード」などのギョーカイ語を世間の皆さんに広めることは、人と人との間に余計なものを挟み、どんどん距離を離していくようなイメージしか湧いてきません。
ですから、私は目の前の人との間にギョーカイ語を挟まない支援をしていきたいと考えています。
「ギョーカイ語を介さずに、その人と触れあえる支援」が理想です。

0 件のコメント:

コメントを投稿