意味付けがなされなければ、ハンカチはただの布きれ

「ハンカチは、ただの“布きれ”。ただの布切れが、ハンカチになるには、手を拭かなければならない」
こういった感覚がふっと浮かぶようでなければ、特に知的障害を持った自閉症の子ども達の支援は難しいといえます。


ある親御さんから、「外出するとき、度々、ハンカチを持っていかないんです」という相談がありました。
もちろん、当地のスタンダード、構造化支援をやってのことです。
外出準備の手順書を提示してもダメ。
「外出には、ハンカチを持っていきます」という絵カードもダメ。
外出準備の空間を仕切ってもダメ。
「私の構造化が悪いんでしょうか?」と来たもんだから、上記の感覚が呼び起こされます。


最初に働いた施設では、何か指導する際、オリジナルの課題分析シートが使われていました。
まあ、オリジナルといっても、目標となるスキルに必要な動作を分けて分析、評価するのは同じ原理です。
で、この課題分析シートを使っていると、これじゃあ、立体的な評価はできないと感じたんです。
だって、どこで、どの段階で躓いているかはわかるけど、何で躓いているかが見えてこないんですもん。
つまり、この子ができない理由は
◎ある活動の一連の流れ(順番)がわからないのか?
◎力の入れ具合、手や指などの身体の動かし方がわからないorできないのか?
◎そもそもの意味や意義がわかっていないのか?
同じ“できない”でも、その理由、躓いている部分は、人それぞれです。


特に私の担当は、重い知的障害を持った子、強度の行動障害を持った子の支援でしたので、ざっくりとした課題分析では、スキルの獲得や行動の改善は難しかったんですね。
ピンポイントで躓きを見つけ、複数ある場合は、1つ1つ虱潰しのように丁寧に支援していき、最終目標であるスキルの獲得、行動の改善を目指していました。
そんな中で気が付いたんです、モノは概念であることを。


私達は概念で捉えているから、ゴミ箱を見て、ゴミを入れるものだとわかる。
でも、具体的に捉える人にとっては、ただの箱であり、プラスチックの塊であり、投げると面白く転がるものであり、触るとザラザラしてて気持ちいいものであり、いろんなもの(ゴミ)が入っているおもちゃ箱みたいなものであり…。
具体的に捉える人は、具体的な経験により、そのモノを意味づけしていく。
ですから、モノを使った活動ができないのは、モノを適切に使えない&誤った使い方をするのは、そもそも意味づけの部分に違いがある。
その活動の順番がわかる、道具の使い方、身体の動かし方が身についている。
でも、そもそもの意味がわかっていなかったり、その人オリジナルの意味づけをしていたりすると、スキルの獲得や問題行動の改善が難しい場合もあるのです。


相談のあった親御さんには、家の中のタオルをすべて無くしてもらいました。
そして、お子さんにハンカチを携帯してもらうようにしました、家の中で。
この子は、食事の前、トイレの後、帰宅後に手を洗う習慣は身についています。
ですから、食事の前、手を洗いに行くと、おやっと思うんですね。
その瞬間に、親御さんがすっとハンカチを指さしする。
で、ぬれた手をハンカチで拭きます。
ハンカチの意味づけですね、その布きれは、『手を拭くもの』という。
この子は、数日後、自らハンカチを持って学校に行くようになったそうです。
布きれが、ハンカチに変わった瞬間です。
以降、家のタオルは元どおりの場所に掛かっています。


コップは水を飲むからコップになるのであって、歯ブラシは歯を磨くから歯ブラシになる。
りんごは赤いからりんごになるのではなくて、食べたらりんごの味がするからりんごになる。
こういった連想が見たモノから浮かんでくるようになると、具体的に捉える子ども達の躓き、違いが見えてくるかもしれません。

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