『感覚過敏は治りますか?』(花風社)を読んで

「感覚過敏」と聞いて、すぐに思いだす子がいます。
縁あって就学前から関わっている子でした。


その子の口癖は、「あの音なんだ?」でした。
ちょっとした音が聞こえると、近くにいた大人に尋ねたり、自分でその音がした方向へ行ったりして確認していました。
その行動は、就学後まで続いていました。


あるとき、突然、それまで見られていた「あの音なんだ?」がなくなり、音を恐れるようになりました。
それを見た親御さんは聴覚過敏が強くなったのだと思い、イヤーマフを購入した方が良いか、相談されたのでした。


私は幼少期から関わらせてもらっていたその子の姿から「聴覚過敏」という言葉は連想できませんでした。
むしろ興味関心の方だと捉えていました。
ですから、興味関心が満たされたからといって、いろんな音が認識できるようになったからといって、急に恐怖感まで振り切るものなのか、疑問に思ったのです。


そんな疑問を持っていたとき、その子が耳に物を入れようとするのを見かけました。
最初に耳の内部の病気を疑いましたが、そうではありませんでした。
で、私はもしかしたら、と思いました。


そう、その「もしかしたら」がきっかけでした。
学校で耳栓をつけるようになったのです。
しかも、親御さんに報告がなく。
理由としては、授業中、いろんな音に反応し、集中できないからだと、あとから説明がありました。


報告がなかったのはもちろんのこと、発達、成長が著しい子どもさんに、大人側の理由から刺激を統制するのはひどいことだと思いました。
本人が耳から入る刺激が辛くて、どうにかしてほしいと訴えるのならまだしも、「気になる」というレベルです。
発達障害のあるなしに関わらず、まだ未経験が多く、狭い世界で生きている子どもにとっての世の中は気になることに溢れた世界だといえます。


ちょうどその頃、高機能ブームの波が当地にも来ていまして、またちょうど運よく(悪く)、高機能ブームの中心にいた有名支援者が度々来ていました。
当時、養護学校に通っていた生徒さんが突然、みなさんイヤーマフをつけだしたのを見て、「どうしたんだ」と思ったら、その方がいらした直後でした。
あれだけ「個別化が大事」「一人ひとりをよく見ることが大切」と言っていたのに、受け取った側がみんな同じ支援。
自閉症の人の中には、聴覚過敏や視覚過敏を持つ人が多くいることは知っていましたが、ある日を境に、みんながみんなイヤーマフに、サングラスという姿に、支援の答えは持ち併せていませんでしたが、違和感だけはっきり持っていたことは覚えています。


今朝、朝ランのときに五稜郭公園を通りましたが、桜が満開になっていました。
そして、そんな満開の桜のように、発達障害の人達が悩み、生きづらさを感じる感覚過敏に対し、希望の花を咲かせてくれるような本が届きました。
花風社さんから出版された新刊『感覚過敏は治りますか?』です。
今回も、著者の栗本啓司さんが貴重な知見を教えてくださっています。


私は、この本を開いた瞬間、「生きている知見」という文字が浮かんできました。
この「生きている」には、2つの意味があります。
それは、栗本さんの知見はまだ完成したものではなく、これから益々発展し、より良いものへと変化していくであろうという意味の生きているです。


栗本さんの著書や講演に参加させていただくと、知見の深さと広さ、思い浮かべることのないような知識と知識の繋がり、経験と知識の繋がりを感じ、毎回、驚き、ただただ納得するばかりです。
しかし、それだけではなく、栗本さんの知見に触れさせていただく次の機会には、さらに前回よりも研ぎ澄まされており、再び驚くのです。
それを私は必死に噛み砕き、自分の血肉にしようと試みますが、またより純度の増した知見がやってくる、といった感じです。
私は、特に栗本さんの著書は皆さんにお勧めしていますが、過去の三冊の著書よりも、もっと素晴らしい知見が私達の日々のアイディアを刺激してくれると思います。


もう一つの「生きている」は、より実践的という意味での生きているです。
栗本さんのお話を聞いていると、人を大切にしているのがよくわかります。
今回の著書に記されている文字にも、日々、どういった姿勢で人と向き合っているのか、そしてその人の姿が見えてくるようでした。
自分の知見を披露しよう、高度な知識を与えてやろう、などの雰囲気はまったくなく、本当に一人ひとりに良くなってもらいたい、ラクになってもらいたい、自分の人生を豊かに生きていってほしい、という想いを感じます。
そういった姿勢と想いが文字に含まれているので、栗本さんの知見は、それを受け取った人を通して、すぐに実践されていくのだと思います。
アレンジしやすく、また治っていく人が多いのは、そんな文字に込めた栗本さんの生きている熱があるからなのだと私は考えています。


以前に、時計の針を進める仕事についてブログに記しました。
まさに今回の新刊は時計の針を進める本だといえます。
きっといつかは、本の中に記されていた方向で感覚過敏への支援、援助が進められるようになるのだと思います。
でも、今回の新刊が世に出たおかげで、その未来が10年、20年早く訪れたような気がします。


「感覚過敏は治りますか?」という親御さんの問いかけに、今までずっと「それが自閉症だから」という答えしか返ってきませんでした。
しかし、「感覚過敏は治りますか?」に対して、栗本さんは明確に回答してくださっています。
長らく「それが自閉症だから」「それが特性だから」という言葉で止まっていた時計が進み始める音が聞こえます。
私達は、ある意味、10年後の未来を手に入れることができたといえます。
その未来を手に、今を生きる人達、そしてこれから生まれてくる子ども達のために活かしていくことが大切だと思います。


是非、感覚過敏に悩まされている方だけではなく、発達障害を持った子を育てている親御さんに読んでいただきたいです。
どうやって育てていけばよいか、どこから育てていけばよいか、の大きなヒントが得られると思います。
私は、今後もこの仕事を続けている限り、今回の著書も何度も何度も読み返すはずです。
きっと10年後、20年後の人たちも、同じように読み返す本になると思います!




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