2018年5月21日月曜日

「社会性の障害」のみを切りぬく不自然さ

「SST(ソーシャルスキルトレーニング)の指導をお願いできますか?」
「息子に対するSSTがうまくできなくて…。(私の)やり方が悪いからだと思うんです」
こんな依頼や相談を受けることがあります。
子どもが対人面で、また学校や地域などの集団の中でうまく振る舞えなかったり、トラブルが起きてしまったりすると、すぐに「社会性の障害」という文字が浮かび、その指導へと向かおうと気持ちが動く。
これは情報が増えた現在だからこその姿だと思います。


実際にお会いしたり、行っているSSTを拝見させていただいたりすると、SSTに問題は見当たらないことが多いです。
そこら辺の支援者よりも、丁寧に準備し、指導されているように感じます。
親御さん達がよく勉強され、我が子のためにと頑張る姿が見えると同時に、知識が増え過ぎて反対に見えなくなっているのだと思うのです。
ある程度やってみて効果がなければ、「我が子に合わなかったんだ」と別の道を探すのが自然だと私は思います。
でも、「自分のやり方がまずいんだ」と思ってしまうのは、「この方法を言われた通り、きちんとやれば効果がある」という情報が頭の中を占拠しているからなのでしょう。


私なんかは、いろんな宗派のあるSST、療育方法はただの道具だと思っていますし、どちらかというと、本人ではなく、支援者側が無理やり、人工的に区分けしたものだと考えています。
そもそも「社会性の障害」なんていうのは、診断するために作られた言葉であり、療育するために生まれた言葉ではありません。
だって、おかしいと思いませんか。
一人の人間の社会性の部分だけを切りぬいて療育しようなんていうのは。
どうやって、その子の社会性の部分、課題へと、ピンポイントでアプローチできるのでしょう。


社会性、対人面のスキルとは、知識なのでしょうか、情報なのでしょうか。
発達障害の人達は、その知識、情報が足りないから、適切に振る舞えないのでしょうか。
だとしたら、知的障害の有無で、社会性が身につくかどうかが決まってしまいます。
でも、現実には、知的障害があったとしても、人間関係を築き、適切な振る舞いができる人が大勢います。
反対に、大学まで出るような能力を持ちつつも、トラブルや人間関係を築き、維持することができない人もいます。
つまり、社会性とは、ソーシャルスキルとは、知識でもなければ、情報でもない。
巷に溢れる「上司に好かれる〇〇テクニック100」みたいなハウツー本に書かれているテクニックがあるのではなく、問われるのはその人、人間だと思います。


ヒトは、集団で生活するようになったあと、社会性の部分が進化、発達したのですから、社会性の土台はヒトの発達過程にあるといえます。
言葉も、文字も持たない遠いご先祖様たちが、社会性の部分を育んでいった。
きっと子ども達は、自然の中を駆け巡り、遊びを通して社会性を発達させてきたのでしょう。
お教室に通って、絵を見せられたり、「この場面ではどう振る舞ったらよいでしょうか」なんて模擬の劇をやったりはしていないはずです。
ちゃんと座ってお話を聞けたら、食べ物を与えてた、なんてこともなかったでしょう。


社会性も、その人の一部であり、発達過程の中で育んでいくもの、という視点で見ると、理解しやすくなります。
発達障害の人は、その発達過程にヌケや遅れがあるのですから、当然、社会性の部分にもヌケや遅れがあるのも不思議ではありません。
ですから、特に言葉を獲得する以前の発達段階のヌケや遅れを育てなおしていくと、自然と社会性の部分でも良い変化がみられてきます。


他人との距離感が分からないから、「両親は一番親しい人のグループ。親戚のオジサンは、二番目に親しい人のグループで、学校の親友は…」なんて、一個ずつ知識として教えるよりも、そもそも他人との距離感の前に、自分の身体の範囲が掴めているの?という部分に課題があったりすることもあります。
自分の範囲がしっかり捉えられるようになれば、他人との距離が掴めるようになり、その他人が別の存在であると理解できるからこそ、他人の存在、言動を尊重することへつながっていきます。


ちなみに、人間関係の距離を知識で教えようとするなんて不可能です。
両親だから、なんでも打ち明けられる人、一番親しい人とは限りません。
人間関係は流動的ですし、いくら親戚でもセクハラ親父は親しいグループには入りません。
つまり、社会性を知識で教えようとすれば、関わる人の数、出くわす場面の数だけ教える必要があります。
ですから一言で言えば、支援回数を効率よく、ほぼ永久に増やすためのアイディア。
そのために、勝手に「社会性」の部分を切り取って、SSTという新しい商売を生みだしただけです。


いくらSSTを極めようとしても、極められるものではありません。
部分的に、人によっては効果がある人もいますが、それで万事解決ということはないのです。
だから、繋ぎ止めておくために「ちゃんと形式の則れば」「資格を取れば」「講習を受ければ」としているだけ。
支援者と、親御さんの腕の差なんてないと思います。
よくあるSSTのマニュアル読んでも、曖昧なことしか書いてないでしょ。
あれは、どうにでも解釈できるようにしているのです。
そうすることで、効果が出ない場合の問題を、その方法、療法ではなく、支援者の腕の問題にすり替えているだけです。
ですから、冒頭の親御さん達のように、「自分のやり方が悪いからかも」と思ってしまう人が出てきてしまいます。


「あの先生が指導すると、あの教室の中では、きちんとできるのに…」というのは、親御さんのやり方だけの問題とは言えません。
もちろん、親御さんと本人との間にズレがあり、うまくいかないこともあります。
でも、別の見方をすれば、「あの先生との間だけしか成り立たないソーシャルスキル」「あの教室の中だけのルール」ともいえます。
私が実際にお会いする方達の多くは、SSTの問題でも、社会性の問題でもなく、発達の土台のヌケや遅れが対人面、集団の中でのズレを生じさせているのでした。
ですから、一見関係ないような部分を育てていくと、人間関係や振る舞い方が集団に馴染んでくるようになります。


最後に、20代の頃、受けたSSTの研修でのお話。
その療法の第一人者の有名支援者が受講生のSSTを評価する形式です。
で、どう見ても内容に大差がないし、実際に子どもさんに指導しているのではない模擬指導なのに、その講師の総評に大きな違いがありました。
片方は医師で、片方は学校の先生。
どっちがべた褒めされ、どっちがケチョンケチョンにされたかは、もうお分かりですね。
こういった立場の違いで評価を変えるのが社会性、ソーシャルスキルだと思っているからこそ、堂々とSSTサイコー、SSTで社会性の問題はすべて解決できると言えるのだと、そのとき、私は思ったのでした。

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