晴れ着を着ているか、晴れ着に着られているかの卒業式

本人から「私の晴れ着を見に来てください」とお誘いをいただきましたので、卒業式に出席してきました。
卒業式に出席したのは、何年ぶりだろうかという感じです。

着物姿、本当によく似合っていましたね。
急に大人っぽくなったので、ビックリしました。
着物に着られている感じではなくて、着物を着こなしている感じ。
着物をちゃんと着られている姿に、今までの歩みと成長を感じました。

男の子はスーツ、女の子はみんな着物でしたね。
着ている人と、着られている人がいたように感じました。
着ている人は、やっぱりたくましく見えますし、式の間中、落ち着いていましたね。
いつもとは違う雰囲気に、服装ですので、落ち着かなくなるのもわかりますが、こういった非日常的な状況でも落ち着いていられると、社会人になっても大丈夫だと思いますね。
佇まいにその人が表れる、と言われますが、まさに晴れ着を着ているか、着られているかに表れていたように感じました。

あと卒業生ではないのですが、在校生の中にお世話係がいたのが気になりましたね。
落ち着いて座っていられない子っていますよね。
その子の隣にいた男の子が、立ち歩くのを注意したり、制止したり。
挙句の果てには、鼻をブーブー鳴らすもんだから、その子の鼻をティッシュでかんであげていましたよ。
先生は何をしているのかな~、いろんな意味で。

「他人のお世話ができることは素晴らしー」みたいな考え方ってあるんでしょうけど、それって教育って言えるんでしょうかね。
お世話をしている子の学びって保障されていますかね。
お世話をしている時間だって、授業中なわけです。
「本人は優しい気持ちを育めるし、一人分補助の労力がいらなくなるから助かる」みたいにしか見えませんね、私には。
お世話係をしている我が子、生徒にお世話をされている我が子、そんな姿を見た親御さんはどんな気持ちがしますかね。
この在校生の二人の姿を見て、晴れ着に着られるようにはなってほしくないなと思っちゃいました。

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