当事者本にあるのは"答え"ではなく、"ヒント"です

学生時代は当事者の人が書いた書籍を読んでいましたが、近頃はほとんど読まなくなりました。
読むにしても、修行系の人ばかりで、成長し、結果を出している人限定ですね。
理解系の本は、手にすら取らなくなりました。

どうして理解系の書籍を手にしなくなったのかと言ったら、それはその人の見え方にすぎないからです。
同じ自閉症、発達障害という診断名だったとしても、人は同じではありません。
「私はこう理解しています」「私はこのような支援を望んでいます」と言っても、それは個人的なお話ですね。
ある人に当てはなる支援が、他の人に合った支援とは言えません。
反対に、ある人にとって良い支援が、他の人にとっては悪い支援にすらなる可能性はあるのです。

「自閉症の人には見通しを持たせる方が良い」などと言われてますよね。
それで誰でも彼でも構わず、とにかくスケジュールや手順書をせっせと作る。
でも、これって"多様性"、"個別化"と逆行した支援だと思いませんかね。

見通しが持てることで安心する自閉症の人はいます。
しかし、自閉症全員ではないですよね。
見通しが見えると不安になる人もいますし、「やらなくてもいけない」という思いに駆られ、プレッシャーや窮屈に感じる人もいます。
「スケジュールが嫌いだ」という人もいましたよ。
「自閉症=スケジュール、構造化が良い」っていうのは、ただの固定観念であって、個が見れていない証拠なんです。

「エビデンス(科学的根拠)」ってよく言われますけど、そのエビデンスって「自閉症に効果があったと見えるもの」ということです。
"自閉症に効果があって"とは、自閉症"全員"に効果があるという意味ではないんですね。
また効果があると"見える"のであって、見えない自閉症の人の内面は考慮されていないんです。
つまり、エビデンスがある=その人に合った支援、とは言えないんです。
支援者が良かれと思っている支援であっても、本人の内面ではネガティブな感情を持っている可能性だって大いにあるんです。

特定の支援にこだわる支援者って、その人の頭が固い証拠です。
「自閉症の人について理解できた」「こういった支援方法が良い」という支援者って、傲慢な証拠です。
自分とまったく同じの身体を持った人間っていないんですよ。
だから、他人のことなんて、完全に理解できないんです。
それどころか、理解すらできないことが大部分なんです。
他人のことが理解できると思っている、その前提自体が誤りだと、私は思いますね。

理解系の当事者本って、その人を直接支援する人には役に立つかもしれませんが、それ以外の人にとっては読み物に近い感覚だと思います。
そこに書いていることをそのまま自分の身近な人に当てはめようとするのは、間違いの元です。
「この本を読んで、私が支援している〇〇ちゃんのことが理解できました」というのは、嘘になりますね。
理解できたのは、その本を書いた当事者の人のことであって、自分が支援している人のことって何も書いていないんです。
書いてあると思うこと自体が、間違いですね。
当事者本って、あくまで個人的な視点が書いてあるだけなんです。
ですから、読んで面白いか、がその本の評価になります。

私が読む当事者本は、現在、うまくいっている人、成長し続ける人のみです。
うまくいった理由、成長し続けられた理由の背景には、その人の試行錯誤があります。
その試行錯誤を読み解くことで、自分の支援に活かせるヒントが見つかるんですね。
企業だろうが、経営者だろうが、成功するには理由があります。
その理由から人は学ぶんですね。
読み進める中で、日頃の支援の着想が湧き出てくる本を私は求めているんです。

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