【No.1019】発達が遅れているよりも、早いほうが問題

昨日も、親御さんからのお話を聞いていて思ったのですが、「この子、本人にニーズはあるのだろうか?」と疑問が浮かんできます。
幼児さんからの相談が多くなればなるほど、「どこのニーズ?」「誰のニーズ?」と思ってしまいます。


私のところに相談にいらっしゃる幼い子を持つ親御さんの多くは、「他の子よりも発達が遅れているな~」という感じだったり、そもそも健診で指摘されるまで問題だと捉えていなかったりします。
しかし、ふとネットで検索してみると、「発達障害の子に見られる行動」などの記述があり、不安に思い、公的な機関へ相談に行く。
そうすると、専門家は待っていましたと言わんばかりに、その不安を助長せるようなことを言ってくる。
中には、その場で障害名を告げるような医師や専門家、支援者もいるくらいです。


そうなると、最初は「遅れているな~」くらいな心持ちだったのに、いつの間にかただの不安が確証へと変わっていく。
それも、周囲からの言動、圧によって。
発達の遅れが障害となり、障害が支援を要する子どもとなる。
で、気が付けば、「支援を受ける」ニーズが作られている。
でも、この「支援を受ける」ニーズって、その子自身のニーズなんだろうかと思うのです。
これって、専門家が人為的に作ったものじゃないですかね。


私が親御さんによく言うのは、「発達が遅れているよりも、早いほうが問題です」ということです。
このご時世、少しでも発達に遅れがあると、すぐに「発達障害だ」「支援が必要だ」などという専門家気取りの輩が多すぎ。
私のところに来る相談の中に、その地域の権威や有名な専門家、公的な機関において、「発達の遅れを指摘された」と言われる方達がいらっしゃいます。
でも、その遅れとやらを確認しますと、ただ単に“今は”遅れているだけで、発達の流れ、成育歴を尋ねれば、少しずつ成長していることがわかったりします。


本当に問題なのは、その点において、まったく発達、成長が見られないことでしょ。
ゆっくり伸びているのなら、それのどこに問題があるのでしょうか。
子ども達は、どれだけ早く発達できるか、をみんなで競っているんですかね。
他にも、産婦人科医や小児科医の書いた専門書を見れば、「異常ではない定型の範囲」「発達の個性の範囲」と記されているのを、「発達の遅れ」とあたかも、それが異常のごとく、問題のごとく、告げられた、なんていうのも少なくありません。
産科医、小児科医と、発達障害専門の医師は仲が悪いのでしょうか。
教わる教科書が違うのでしょうか。
発達障害の子ども達は、定型発達の子ども達とはまったく異なる種の人間、という捉えなのでしょうかね。


「這えば立て立てば歩めの親心」はわかります。
でも、発達が早いということは、発達課題、プロセスの中に、短い部分、飛ばした部分があるということだといえます。
多くの方が勘違いしているかもしれませんが、この「十分にやり切らず」という方が問題ですし、実際、私が発達相談、援助を行っていく中で、飛ばしている子たちの方が、課題が複雑になっていて、治るまで時間がかかるのです。
単に遅れているだけの子は、その遅れになっている原因、ストッパーを外すと、すぐに本来の発達の流れに戻り、治っていきます。


「発達が止まっている」は問題だといえますが、「発達が遅れている」はどこが問題なのでしょうか。
発達が遅れている子、本人のニーズはどこにあるのでしょうか。
発達が遅れている、ゆっくりな子どもさんを見れば、この子たちからニーズの声が聞こえてはきません。
発達はゆっくりという面はあるかもしれませんが、家族の元で幸せに毎日を過ごしている姿があります。
そうやって子ども時代の心地良い時間を過ごしている子を捕まえて、「ほれ、発達が遅れている」「このままだと、問題が大きくなる」「将来、支援を受け続ける子だ」なんて、悪徳商法の一種ですか、「あなたあなた詐欺」ですか、なんて思ってしまいます。
「あなた、発達障害ですよ!支援の手続きしてください」
「わかりました。すぐに申請するね」
こうやって税金からなる支援が雪だるま式に大きくなり、続いていく。
障害という診断がついて、誰が一番喜んでいるのだろう。


1歳、2歳、3歳の子ども達に、「発達の遅れがある」。
「じゃあ、療育、支援」じゃなくて、どうして遅れているのかな、それは正常の範囲かな、と確認することが先でしょ。
チェックシートを持ってきて、当てはまるかどうかじゃなくて。
発達の遅れが、正常の範囲に入るのなら、「子育ての中で大丈夫。ちゃんと育っていくから」が、専門家として伝えるべき言葉。
原因があって、発達が遅れているのなら、その原因を指摘し、改善案を提示するのが、専門家としての役割。
同じように、発達のヌケ、未発達が今の課題となって表れているのなら、そこを伝え、育て直し方を教えるのが専門家としての仕事。
それをやらずして、単に遅れを指摘するだけ、チェックシートに丸つけるだけなら、専門家じゃなくていい。
それこそ、AIか、アプリか、でいい。
人が人の発達と向き合う意義を考えた方がよいのです、無条件に有難がるのではなく。


専門家に指摘され、不安が増し、ニーズが作られる。
これは、その子、本人の内側から発せられたニーズではないはずです。
我が子をそばで見ていて、内側から発せられたニーズを感じたとき、初めて専門家を頼るのが自然な流れだと私は思います。
専門家よりも、日々、それこそ、この世に生を受けた瞬間から共に歩んでいる家族に勝る存在はありません。
その家族が感じていないニーズは、本当のニーズではないのです。


親御さんの中には、「今は遅れているけれども、この子はちゃんと理解しているし、成長していく」とわかっている方達がいます。
そういった親の直感、感覚を大事にしてください。
その直感の多くは、正しいです。
だって、発達が遅れているのは、ゆっくりなのは障害ではないから。
子育ての中で、発達、成長し、治っていくお子さん達です。


発達のヌケや未発達を育て切っても残る課題が、障害。
でも、残った障害だって、本人が成長の中で折り合いを付け、工夫し、乗り越えていくことだってできるのです。
子ども達の持つ発達する力を見くびるんじゃない、専門家!
親の直感、育てる力を見くびるんじゃない、専門家!

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