2020年2月13日木曜日

【No.1014】「Special Needs」を持った子ども達

現在の特別支援の混迷は、「Special」を「特別」と訳したことに始まると思っています。
日本で「特別」という言葉は、区別や例外、通常とは異なる状態という意味と雰囲気をまとっています。
本来、Specialという言葉は、Needsにかかる言葉です。
「特別なニーズ」をもった子ども達へのサポート、教育であって、「特別な子ども達」のニーズではないのです。


特別支援は、まさに特別な子ども達を造ってきました。
その最たるものが、「頑張らなくて良い」というものでしょう。
「あなた達は、特別な人、つまり、区別される、例外的な人なのですから、他の人たちのように頑張る必要はない」
生きとし生けるものはすべて、植物でも、動物でも、光の方へ状態を変え、餌のある方へ身体を向ける。
動物は特に、生き抜くには、自立して生きていくには、頑張るしかない。
頑張ることをやめた瞬間、誰かの体内の一部になるから。


野生の動物のように、ヒトは頑張ることを止めても、生きていくことはできます。
でも、それは肉体的に、という意味。
心は、野生動物のように、誰かの体内の一部になってしまうのです。
どれだけの子ども達が、特別支援によって、支援者の食い扶持の一部になったことか。
子ども時代に、頑張る機会を与えられなかった人は、自分の足で立つという実感を持たないまま、大人になる。
それが支援者がいないと生きられない人につながっていく。


年少の子どもが、同年齢の子ども達と関わることなく、衝立の中で黙々と課題をさせられたら、どうだろうか。
学校に行っているのに、教科学習はプリント1枚、あとは余暇エリアで過ごす、っていうのは、どうだろうか。
放課後、同級生は友達と遊び、習い事に通い、各々の時間を楽しんでいるのに、校門から乗用車に乗せられ、古い一軒家の中の片隅で、何時間もDVDを観て過ごすのは、どうだろうか。
年端もいかない子どもが、本人が何を飲まされているかも理解できないうちから、精神科薬を飲み始めるのは、どうだろうか。
一般の子ども達には憚れることが、特別な子ども達には許容されている現実。
彼らは特別な子どもだからと言って、一般の子ども達なら絶対にやらないこと、望まないことをやってもよいといえるのでしょうか。


特別なニーズの“ニーズ”とは、どういったことを指すのでしょうか。
子ども達のニーズで言えば、より良く発達すること、成長すること、学ぶこと。
通常の道筋では満たされない、それらのニーズに対して、環境を整え、機会を提供するのが大人の役割です。
ですから、「頑張らなくて良い」というのは、子ども達のニーズを満たすのと、真逆の行為だといえるのです。


特別な子ども達に、言葉ではなく絵カードのみでやり取りさせたり、賞罰で行動を身に付けさせたり、対人関係のマニュアルを必死に覚えさせたりするのは、間違っていないことのかもしれません。
でも、子ども達に必要なのは、彼らを特別扱いすることでも、同年代の子ども達と分離することでもありません。
必要なのは、その子その子に合った特別なニーズを満たしていくことです。
つまり、より良く発達し、成長できる機会を設けること。
より良く発達していけるのなら、成長していけるのなら、どんなアプローチでも構わないのです。
いわゆるナントカ療法以外でも、より良く発達してけるのなら、それで良い。


特別支援は、家庭の中にも入り込んでいきました。
我が子なのに、特別扱いをする親御さん、特別扱いを要求する親御さん、それが権利だと勘違いする親御さん。
あなたの目の前にいる子は、特別な子ではなく、あなたの大事な我が子なのに。
違いがあるとすれば、発達を後押しするアプローチの違いだけ。
それは、子どものニーズの違い。
ですから、子育てのベースの上に、ちょっと個別のアプローチが必要なだけであって、発達の機会、同年齢と交流の機会、同じような体験、学びの機会が必要ない、ということではないのです。


発達相談で、ぼろぼろと涙を流す親御さんの中には、「普通の子育てをしていいって初めて言われました」と言われる方が少なくありません。
まだこの世に生まれて1年、2年、3年とかしか経っていないのに、こんなにも「普通の子育て」が否定されてきたのか、それがダメだというメッセージを受け取ってきたのか、と思うことがあります。
「あなたの子は、特別な子なんだ」という言動、視線に、嫌というほど、触れてきたのだと思います。


はっきり言って、支援するための支援者、専門性を示すことで専門家として存在していける専門家が、増えすぎたのです。
それこそ、支援者、専門家が食いつなぐために、障害児者という存在が必要となっている。
だから、特別な子ども達を造り出そうと、せっせと診断を付け、療育や支援に送り込む。


特別が、『子ども』とくっつくか、『ニーズ』とくっつくか、では大違い。
支援者は、子どもにくっつけたい。
何故なら、特別な子と関わっていること自体が仕事になるから。
でも、それは本来の意味とは異なります。
その子のスペシャルなニーズを満たすということが、唯一の評価ポイントです。


その子の「より良く発達、成長、学習」というニーズが満たされれば、それがどこでも、誰とでも、どんなアプローチでも、構わないのです。
特別な子用に作られた特別な支援、療育なんかにこだわる必要は微塵もなし。
必要なのは、結果です。
我が子の「より良い発達」というニーズが満たされれば、すべてOK。


そろそろ、「特別」を子どもにくっつけて、サボっている支援者達を一掃しなければなりません。
そのためには、まず親御さんが、正しい知識をつけること。
「Special」は、子どもに付く言葉ではなく、子どもの「Needs」に繋がる言葉。
これがわかれば、専門家、支援者に対抗することができます。
「どうして、普通の子育てではダメなんですか?」
「どうして、幼稚園、保育園よりも、療育が良いと言い切れるんですか?」
「どうして、家庭の仲間で、親子の仲間で、特別なことをさせようとするのですか?」
「特別な支援を受けて、同年代と同じように社会の中で自立していった人はいるのですか?」


私達は、特別な子ども達を育てているのではありませんね。
子ども達を特別な人間に育てようとしているのでもありません。
ただ、その子の持った資質を活かして生きていってほしい、同年齢の子ども達と同じように、よく育ち、よく学んでいってほしい、というだけ。


確かに、発達障害を持つ子ども達は、同年齢の子ども達とは違った発達の仕方、成長の仕方を見せるかもしれません。
でも、必要なものは、どの子も同じ。
普通の子育て、同年代の家庭と同じような体験に、ちょっとひと手間を加ええるだけ。
それが特別なニーズを満たすということ。
親が子を育てる、家庭でより良く育てるという根本までひっくり返して、特別なことをする必要はないのですから。

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