2019年11月14日木曜日

診断基準は変わる、進歩と人為によって

DSM-5が発表される際、アメリカ国内では騒動が起きました。
新しい診断基準になると、それまで該当していた人達の中に基準から外れてしまう人達が出る、と。
それでは、「今まで受けられていた支援、サービスが受けられなくなる!」「それは問題だ!」ということで、当事者、家族から声が上がったのです。


新しい診断基準へと改定を進めた人達も、当然、こういった反応は予想できたと思います。
(まあ、結論から言ってしまえば、ロビー活動によって、改訂前に診断を受けていた人は、それまでと同様に支援が受けられるようになりましたが)。
では、何故、改定する必要があったのか。


当然、多くの臨床からより実態に合ったものへ、それまで分からなかったことが明らかになったことによって、診断基準が変更されるという面があります。
DSM-5では、自閉症やADHD、LDなどが神経発達症という大きな括りの中に入ることになりました。
「どうも、“神経”発達が大きくかかわっているようだ」という具合に。


一方で、純粋に医学的、科学的な進歩によってのみ、診断基準が変わるわけではないこともわかります。
端的に言えば、診断基準に該当する人を減らしたかった。
先進国では、韓国、日本の順に、発達障害が増加していますが、アメリカでも同様に、ますます発症率も、発症者数も増えているのです。
ある程度、支援サービスが整っている国では、それに伴って、どんどん公的な予算、費用が増えていきます。
そこで有限であるリソースを効率的に分配するためにも、いや、もう予算がないから勘弁してくれ、ということかもしれませんが、開いた蛇口を閉め始める。
そういった側面も、あるのは当然だといえます。


このように人間が行うことには、少なからず思惑が入る余地があるのです。
発達障害が、神経の問題になったとき、神経なら育てられるし、アプローチできることが示されるようになりました。
また、長らく言われていた「生まれつきの障害」という言葉も根拠がなくなり、『発達期に生じる』という言葉によって、環境、アプローチの仕方によって変化が生じるという可能性、希望が見いだせるようになりました。
しかし、私達は医学、科学の進歩による恩恵だけではなく、その裏側にある意図にも目を向け、理解する必要があると思います。
つまり、未来は引き締めの方向へ進んでいくことと、その社会状況によって人為的に診断基準すら変わるということ。


日本は、世界の中で2番目に発達障害が増加している国です。
しかし、その増加に歯止めをかけるような環境要因に対する手は打たれていません。
しかも、その原因に関する研究結果、不都合な真実を否定し、隠そうとする人達も存在するくらいです。
それでいて、増加の一途を辿る発達障害者に対する支援は、「“支援を受けながら”、より良い生活を目指していく」という方向性のまま。
「支援を受けながらの自立」という具合に、官僚の答弁みたいなことが言われる始末。
支援を受けていたら、その時点で自立とはいえない。
自立とは、その名の通り、自分の足で立つこと。
結局、支援者も、支援を受け続けてもらうことが前提で、本気で自立など目指していないのです。


少子高齢化の社会なのに、どんどん発達障害の子ども達が増えている。
それでいて医療は治すことを目指さず、支援者は自立させることを目指さず。
親御さんの中には、我が子の自立よりも、どれだけ支援を、サービスを勝ち取るか、というような人達も少なくない。
この状況で、将来、診断基準が変わったり、支援サービスが利用できる人に制限がかかったりしたとき、どうなるのでしょうか。


国が、「もうこれ以上、発達障害者に対する公的なサービスの負担はできない」と言ったとき、私はアメリカのように、それまで支援を受けてきた人が大きな声を上げると思います。
そして現実問題として、支援を受けること前提で育ち、支援が染みついた人達からは取り上げることができないはずです。
制度が変わったから、「明日から支援サービスは受けられません」「事業所に来ないでください」「グループホームから出て行って」「飲んでいた薬、全部中止」とはならないでしょう。
となると、この世代は勝ち逃げ世代、逃げ切り世代になるのです。


限りある資源に、今の逃げ切り世代が大部分を占める。
医療、ギョーカイは、今まで通りの方向性で進もうとするでしょうが、今の子ども達は、その流れに乗ってはいけないのです。
どう考えても、出口戦略のない、そこに穴の開いた壺の中に、貴重な水を注ぎ続けるような支援は、近い将来、破綻します。
2025年、団塊世代が後期高齢者になる時期、ですから、早ければ5年後には、見直しが行われると思います。
子ども達とその家族の割合、しかも、その中で発達障害を抱えている家族の割合は、それ以外の国民の数からしたら少数ですから、選挙で、政策として勝てるわけがありません。


日本は自然災害から逃れられない国ですし、社会だって、どうなるか予測ができない不確実性に溢れています。
そして、いくら叫んでも、勝ち逃げ世代は勝ち逃げするだろうし、今までのような支援を前提とした人生設計はなり立たない。
ですから、確実なことを増やしていく。


発達は後戻りしません。
一度クリアした発達課題は、確実にその子の内側に残ります。
テクニックや知識は後付けできるし、忘れ、失うこともありますが、その感覚、動き、身体は生涯、その人の人生を支え続けます。
そうです、発達課題をクリアし、獲得していくことは、自らの内側に生涯の支援者を育てるということ。
与えられる支援は、いつどうなるかわかりませんが、内側にある支援は裏切らない。


自らの足で立って生きることを自立というのなら、自らの内側の支えを作ることです。
そのために、子ども時代、家庭の中でできることはたくさんあります。
『快食快眠快便』と『自由自在に動かせる身体』
これらを育てることは、自立の土台作りだといえます。
別の言い方をすれば、これは、どんな優れた社会、福祉制度、支援でも、担えない部分。


動き出すのは早い方が良い。
すでに私達は、逃げ切り世代にはなれません。
従来のままの医療、支援、専門家に別れを告げ、私達は確実なものを子ども達の内側に育てるという道を進むのです。
どんな未来が訪れようとも、子ども達が自分の人生を、自らの足と意思によって自由に謳歌できるように。

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