2019年11月12日火曜日

生きづらさ保全の会

不登校や不登校気味の子の相談で多いのが、「クラスの子が泣いたり、叱られたりしていると、自分も悲しくなる、辛くなる」というものです。
その状況に耐えられなくなると、だんだんと心身に不調をきたし、学校に行けなくなる。
勉強や友人関係に問題はないのに、こういった理由から不登校になる子も少なくありません。


だいたい最初の対応として、「担任の先生にあまり叱らないように」とお願いをするようです。
しかし、いけないことをしたら指導するのは当然ですので、叱る場面をゼロにはできません。
それに子ども同士のやりとり、個人の感情はコントロールできませんので、クラスの子がネガティブになる状況はあり続けます。
となると、結局、本人が辛くなることは変わりませんので、もう一度、要望、話し合いが行われます。


先生としても、本人を叱っているわけではありませんし、クラスの子の感情をコントロールできるわけではありませんので、困ってしまいます。
一方、親御さんの方も、状況が変わらないことに焦り始める。
そういったとき、両者の流れが「発達障害」に向かい始めます。
担任が抱え込めない部分を受け持ってもらうための「発達障害」
特別な配慮をより認めてもらえるようにするための「発達障害」
ちなみに不登校になってから、診断を受けるケースが本当に多いです。
診断を受けると、その学校の不登校数にカウントされないというルールがあるのでしょうかね。



特別支援に関わる人、支援者、専門家の中には、こういった子どもさんに対し、「とても優しいお子さん」「他人の気持ちに共感できるのは長所」などと言います。
でも、本当に優しい子、他人の気持ちに共感できることが長所と言えるまでになる子というのは、ただ悲しんでいるだけではなく、行動に移せる子です。
悲しんでいる子の横で泣いている子は、ただ泣いている子。
そこから一歩成長し、悲しんでいる子に対して、どういった行動ができるか、それを考え実行できる子に育てるのが、また育ってもらうのが、子育てであり、教育でもあると思います。


このようなお子さん達は、一言で言えば、「自分が確立できていない」のでしょう。
自分と他人の境界線が曖昧ですし、その曖昧さは、自分の身体の範囲がわかっていない、ということ。
それは内臓の発達の遅れ、皮膚感覚、前庭覚などの未発達などがあるのであり、感覚の育ちに遅れがあるということは、呼吸や運動発達にヌケがあるかもしれないし、原始反射が残っているために発達が滞っているかもしれない。
また、その名の通り、きちんと地に足がついていないかもしれない(浮き足など)。
こういった連想は、発達に関わる職業人なら瞬時にできるはずなのに、なんでもかんでも、保全に努めるのが特別支援に関わる者の性。
他人の生きづらさをコレクションするのは、悪趣味としか言いようがありません。


個性を”活かす”には、行動が伴わなければなりません。
「自閉症の人はルーティンワークが得意だから」「覚えるのが得意だから」「間違いに気づくのが得意だから」
そういった個性にスポットライトを当て(別名「苦手なところは無視」)、就職に向けた学習をし、ジョブマッチングをし、どれほどの人達が卒業後、仕事が続けられているのでしょうか。
結局、活かすための土台ができていない、ゆえに行動が伴わず、ただ個性を持っている人で終わってしまっている。
こういった状況は、本人の人生はもちろんのこと、社会にとっても大きな損失だといえます。


個性を活かすには、それに見合った行動ができること。
行動ができるようになるために、発達障害は治す。
私は、「発達障害ゆえに素晴らしい個性を持った人」というのは間違っていると思います。
素晴らしい個性にするためには、それが発揮できるだけの育ちが必要。
なので、「発達障害が治ったゆえに、素晴らしい個性を持った人」と言われるのだと思います。
発達障害を治すことなく、治そうとせず、個性だけ抽出しようとしても、無理。
人間をひと部分切り取るのが無理なように。


冒頭で紹介した子ども達も、未発達の部分が育ち、自分が確立できると、他人の感情に振り回されなくなります。
自分という主体があったうえで、悲しむ人に共感できる。
そのようなもう一段回進んだ、発達した共感が、行動できる姿へとつながります。
悲しむままは、個性ではなく、発達段階が幼いのです、周りの子が泣くと、一緒に泣き出す幼児のように。


不登校→診断→支援→障害の保全→生きづらさは変わらない、の無限ループ。
私はつくづく「どうして生きづらいままの人が、他人のため、社会のために、個性、資質を活かすことができるだろうか」と思います。
ですから、特別支援を見ていると、「子ども達の資質を伸ばそう!活かそう!」と、真剣に考えていないように感じます。


ある学生さんが、支援者から「その嗅覚過敏を活かして、匂いに関する卒業研究をしたらいいんじゃない」と助言されたそうです。
でも、その学生さんは、こう言っていました。
「私は嗅覚過敏で苦しんでいるのに、どうやって、それを使って研究ができるといえるのでしょうか」と。
過敏を活かすにしても、それに圧倒される段階から、しっかり自分で掌握できる段階まで発達しておくことが必要ですね。
個性も、資質も、磨いてナンボ、育ててナンボ。
行動が伴って初めて、長所、素晴らしい個性、資質だといえるのです。

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