我が子と一緒に歩む道は、どこか懐かしさを感じるもの

虫歯ではなく、麻酔をかけるわけでもなく、歯垢を取るだけなのに、どうしてこんなにも通わないといけないのでしょうかね。
100歩譲って、上の歯と下の歯で2回に分けるならまだしも、上の歯を3回に分け、下の歯を3回に分ける。
どうして一気にできないのか尋ねると、「歯に負担がー」と、それ以上、ツッコミを入れさせませんよ、というような定型文が返ってくる。


歯の負担というけれども、通う方の負担はどうでも良いのか。
結局、「患者さんのために」と言いながら、回数を稼ぎたいだけでしょ、と思ってしまう。
自営業だから、なんとでもなる、時間の融通が利く、と思っているのかもしれませんが、自営業は働いてナンボの世界。
働かない時間は、無収入。
だから、毎日、せっせと働いています。


訪問するお宅が、函館だろうが、泊りがけで伺う場所だろうが、一発勝負と思って仕事をしています。
発達のヌケを探り、その子の物語を完成させる。
発達のヌケの育て直し方と、そのご家庭の雰囲気、流れにあった育み方を提案する。
限られた時間で、これらすべてをやりぬくことが、私に依頼してくれた方への誠意だと思っていますし、子どもの貴重な発達の時間を守ることだと考えています。
なので、「上の歯、三本でおしまい。また来週」みたいな支援を見ると、つまんない商売してんじゃねーよ、と思ってしまいます。


お金は後からでも稼げばいいですが、時間というのは後からどうしようもありません。
ですから、私が帰ったあとから、すぐに本人が、家族が動き出せる形まで持っていく必要があります。
いや、理想で言えば、一緒にお話しし、考えている最中から、本人、家族の意識や気持ち、雰囲気が動き出している状態です。


私が確認し、見たて、提案する。
それを本人、家族が受け取り、「はい、ありがとうございました」では、つまらんのです。
私はきっかけの一つであり、本人と家族がより良い未来に向かって歩みだす後押しの一つにすぎません。
私がいくら限られた時間の中で、一つの形を作ったとしても、動きが生じなければ意味がないのです。
そういった意味で、私自身が問われます。
家族の流れに沿った発達援助ができているか、を。


家族の流れに沿いながら仕事ができていると感じられるのは、親御さんから次のような言葉が聞かれたときです。
「そういえば、自分も、子どもの頃、そうだった」
「この子の〇〇というところは、自分にそっくりなのかもしれない」
話題の中心は子どもさん。
でも、子どもを通して、過去の自分を呼び起こし、そして自分と子どもが繋がりを見せる。
その瞬間、「今日は良い仕事ができた」と感じることができるのです。


発達障害の子は突然変異で生まれてくるわけではなく、天使が「あなたのおうちに決めた」と連れてくるわけでもなく、両親から資質や特徴を受け継ぎ、生まれてくるもの。
ですから、我が子と自分の繋がりを感じることが重要です。
特に、自立した人に育てるためには。


鹿児島の神田橋先生がおっしゃられているように、親が仕事をし、結婚して、子どもを授かれているのだから、子どももそれくらいにはなれるだろう、というのがあります。
つまり、親御さんの人生の中に、子どもさんをよりよく育て、自立まで後押しできるヒントがある、ということです。
それが子ども時代、熱中したことかもしれない。
それが両親の育て方だったのかもしれない。
それが、誰々との縁であり、育った環境なのかもしれない。
その辿ってきた道に、今、親として自立し、子どもをもうけ、家族を形成している理由があるはずです。
似た遺伝子を持った自分がある意味で治り、資質を開花させられた理由が。


私が発達のヌケを確認し、その子の物語を紡ぎ、具体的な発達援助を形作る。
そこには面白みがないのです。
でも、そこに親子の繋がりが生まれると、一気に発達援助が躍動し始め、その家族ゆえの発達援助が彩られます。
そうなると、私が同じ空間にいても、家族が揃ってより良い未来へと動き始める。
支援者などという他人を介さずとも、家族の力で歩んでいける、進んでいけるのが理想であり、自然な姿だと思います。


ただ口を開けて、やられるがまま、言われるままの治療は、面白くも何ともありません。
しかも、その本人の力を引き出すことも、育てることもない。
だから、与える、与えられるの発達援助はつまらないのです。


発達援助は、子どもの力を引き出すことが肝心です。
しかし、同時に親御さんの力を引き出すことも大事。
その大事な親御さんの力とは、自分の歩んできた道から、素晴らしいアイディアとエッセンスを抜き取ること。
そのためには、我が子と自分の発達が繋がることが必要です。
私が作ったものを土台にし、家族が彩り豊かに仕上げていく。
気が付いたら、家族の自分たちだけで治る道を歩き始めているのが理想です。


我が子と一緒に進む道は、どこか懐かしさを感じるはずです。
だって、親の自分が辿ってきた道と、どこかでつながっているから。

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