流れを大切にした仕事をしたいから、アンケートは作りません

新規や出張支援を利用される方から、「事前に記入しておくアンケートはありますか?」と尋ねられることがあります。
療育機関や相談事業所などでは、そういったアンケートの記入が一般的なのでしょう。
でも、うちにはアンケートはありませんし、今後も作るつもりはありません。
だって、実際にお会いするから。
だって、一緒に作り上げていこうと思っているから。


アンケートとは、効率化の象徴のように思えます。
事前に情報を集めておくことで、ポイントを絞って準備ができるし、支援ができる。
より少ない労力で、その時間を収め、次から次へとさばいていく。
労力は少なく、利益は多く。
もちろん、効率的に仕事をするのは当たり前のことだと思いますが、療育に、いや、人を育てるのに、この考え方はそぐわないと思います。


きちっとしたアンケートが渡されると、記入する方は「ちゃんとやってくれる事業所だ」「事前に聞いてくれるなんて熱心だ」というように感じる方もいると思います。
しかし、私はそうは思いません。
「あなたの声を聞きますよ」と言っているようで、枠が決められているから。
「自由になんでも」と言いながらも、誘導している主は、本人でもないし、親御さんでもない。
子育てに効率化が侵入するのも悲しいですが、知らず知らずのうちに支援する側と支援される側の関係が出来上がっているのも悲しいといえます。


アンケートを書いてもらった支援者側は、どうやって、それを利用するのか、支援に繋げるのか、私にはわかりません。
と言いますか、私はアンケートを貰っても、そこから支援を組み立てていくことはできません。
何故なら、アンケートとは切り抜きだから。
その子のある部分の切り抜きであり、親御さんの見立て、想いの切り抜きであり、時間の切り抜きです。


アンケートに、我が子のすべてを記入することはできません。
また記入を求められた部分が、その子の発達のヌケ、課題の根っこであるとも限りません。
アンケートとは、作った人の視点が入るもの。
やりたい支援、得意な支援に引っかかる部分が項目になっていることもあります。
ですから、人為的な切り取りになってしまい、本当にその子が必要な援助が届かないこともあるのです。


それに、アンケートを書いた時点と受け取った時点、実際に支援する時点は、すべて別の時間になります。
時間は常に流れているものなのですから、アンケートに書かれたその子と、実際に目の前にいる子は別の人。
大事なのは、目の前のいるその子を基点とし、過去と未来を流れで見ることです。
アンケートという過去を基点とした支援を始めようとすると、ズレが生じるもの。
その子の流れ、発達の流れをしっかり掴めないと支援はできません。


私に天才的な腕があり、治す力があるのなら、次々に治していくためにアンケートがあった方が良いと思います。
でも、私にはその才も、腕もない。
だから、一生懸命、お話を聞いて、一緒に発達のヌケ、課題を探そうと思っています。
そして、本人と家族が主となり、どうやって発達の後押しをしていくか、より良い育みを行っていくかを考える補助ができれば、と考えています。


治すのは、本人であり、家族です。
だから、本人、家族の生の声が重要なのです。
その生きた声には、単に情報だけではなく、想いや願い、それぞれの視点が漂っています。
そういった雰囲気から、その子の流れ、発達の流れ、家族の流れが伝わってくるのです。


何をどういった順番でお話しされるか。
どんなときに感情が揺らぎ、想いが溢れてくるのか。
どんな場面で、家族の息、動作がシンクロするのか。
そのすべてが過去から現在に繋がっている流れの表れ。
その子の流れに沿った援助の仕方でなければ、未来は伸びやかに発達してきません。
家族の流れに沿った育み方でなければ、未来に活き活きとした家族の時間が流れません。


個人で仕事を行っている意義であり、強みは効率化と真逆の方向へ進んでいけることだと思っています。
その子に、その家族に、とことん付き合うことができる。
発達のヌケ、課題の根っこが掴めなければ、それが見えるまで、一緒に土の中を掘り続けることができる。
そこには時間の切り抜きはありません。
ある意味、その子と、その家族と同じ時間の流れの中に身を置くことができる。
同じ時間の流れに身を置くことができるのは、オーダーメイドの発達援助を作る上での第一歩。
流れを大切にした仕事をしたいから、アンケートは作りません。

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