治したいと思うのは、誰か?

支援者や学校の先生からも相談や助言を求められることがあります。
自傷や他害などをどうにかしたい。
対処療法ではなく、根本から育てていきたい。
そういった熱い想いをぶつけてくれます。


根本から解決したい、育てていきたい、というのは、親御さんに近い視点です。
ということは、それだけ目の前の子どもとしっかり向き合えている証拠。
だからこそ、私はそういった支援者、先生たちを応援したいと思います。


でも、治すのは支援者でも、先生でもありません。
治すのは、本人であり、家族。
発達の土台、根本を育てようとすればするほど、家庭に突き当たるのです。
自然な家庭での営み、子育ての中に、根っこを育てる舞台がある。


いくら療育機関や学校で解決しよう、治そうとしても、時間も、環境も、日常の部分であり、断面でしかありません。
発達とは、本人の主導で育まれていくもの。
「さあ、療育の時間です」という具合にはならないのです。
生活の土台、生きる土台である家庭の中で、やりたいときに、やりたい育ちをとことんやり尽くすことによって、発達が満たされていきます。
安心した雰囲気の中、本人のペースで発達が育まれていく。


発達のヌケは、支援機関に通う前に、学校に入学する前に、できているものです。
なので、やっぱり支援機関も、学校も、“治す”にふさわしい場所ではありません。
発達のヌケは、ヌケが生じた環境で育んでいくのが良いといえます。
ですから、支援者や先生が、根っこに注目し、それを掴もうとすると、家庭と繋がっている。


家庭での育みがなければ、いくら外で頑張っても、課題の解決には至りません。
脆弱な土台の上に、何かを建てようとしても、不安定で、すぐに崩れてしまうからです。
相談やアドバイスを求められる方達の悩みの本質はここ。
結局、問題行動も、発達の課題も、根っこから育てなければ、という想いを抱いている。
でも、自分たちが関われるのは、生活の一部。
だから、どう頑張っても、自分たちの関わりが根っこを養う力までに及ばない。
支援者や先生が頑張れば頑張るほど、その支援、指導が、上辺へのアプローチになってしまい、バランスを崩すことに繋がるというジレンマを抱えている。
案外、何もしない同士の方が、子どもは安定しているもの。


家庭という土台、発達の土台がしっかり養われて初めて、支援者や先生の支援、指導が活きてくるのだと思います。
家庭で、快食快眠快便を整えること、身辺スキル、基本的な生活習慣を身に付けること、しっかり遊び、親子の間で愛着の土台を養うこと、これらが育まれてから、本当の学びが始めるのだといえます。
栄養も十分に摂れず、夜も遅くまで起きていて、不満やイライラを抱えて登校してくる。
その子の問題行動、発達の課題を、どうしたら学校で解決できるというのでしょうか。
支援者、先生からの相談のほとんどは、「それって家庭の問題でしょ」という一言で終わるものが多いのです。


私も、以前は、同じような悩みを抱えていました。
だからこそ、私は家庭支援を始めたのです。
本人が変わる前に、家族、特に親御さんが変わる必要がある。
何故なら、発達の土台、根っこは、家族であり、家庭に存在するものだから。
「学校や療育機関がどうにかしてくれる」「専門家がどうにかしてくれる」ではなく、親である私が治す、私達が自立するまで育ててみせる。
そういった想い、主体性を持つことが、治るための一歩だと言えます。


本人を中心とし、家庭が頑張り、学校が頑張る。
家庭が土台を養い、学校が学力や技術を養っていく。
そうやって自立までの後押しをしていく。
家庭がしっかりしていれば、支援機関に通わなくとも、学校が残念だったとしても、ちゃんと育っていくものです。
反対に、家庭が残念だと、いくら支援者、先生が頑張っても、ほとんど効果はありません。


ですから、支援者、先生の役割は、きちんと直言すること。
言うべきことは、きちんと言わなければなりません。
私も、たくさん直言してきました。
その結果、利用が終わった家庭もたくさんあります。
でも、仕事のために接待するのは決して良くないこと。
子どもにとって、家族にとっても。


ですから、療育機関、学校で起きる問題にどう対処したら良いか、育てたらよいかが悩みなのではなく、家庭に直言できない自分と向き合うのが悩み、ということ。
本気で治そうと思えば、家庭に変わってもらう必要があります。
また家庭に、その気が無いのなら、諦めるのも一つのアイディア。
治そうと思っていない人、支援を受けて生きていければいいや、という人は治せません。
「治したいと思うのは、誰か?」
そういった問いかけを自分自身にすることも大事だと思います。

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