2015年9月3日木曜日

「情報共有」「連携(協働)」という絵に描いた餅

どうしても「情報の共有をしましょう」と言われると、「あなたが持っている情報をよこしなさい」に聞こえてしまう。
どうしても「一緒に連携して支援していきましょう」と言われると、「結果が出たら、お互いの手柄で、失敗したら、あなたにも責任があるのよ」と聞こえてしまう。
そして、「お前の物は俺の物。俺の物は俺の物」とジャイアンの名言を連想してしまう。

私は、情報は生きものであると考えていて、鮮度が大事だと思っている。
本人の姿は日々、変わっていくし、成長していく。
だから、持っている情報はすぐに古いものになってしまうし、常に情報の更新が必要だと思っている。
だから、「情報の共有をしましょう」なんて言われても、自分の方が本人とたくさん会っているし、新しい情報を持っているのも自分だったら、上記のようにしか聞こえない。
第一、特定の場所で、短時間だけで得られた情報をいくら貰っても、ほとんど足しにはならない。
また、支援者の捉え方が色濃く出る純度の低い情報も美味しいとは思えない。

連携に関しては、どうせ無理だと端から否定している。
だって、経験も、役割も、センスも、同じような支援者っていますか?
どうやっても支援者の色が出てしまうので、連携して一緒に、なんていうのは無理な話。
同じ内容を教えたとしても、やり方も、評価も、同じにはできない。
反対に、教える人が変わると、人によっては混乱してしまう自閉症の人もいる。
だから、何かを教えるときは、まず一人が教え、次に人を変え、場所を変え、手だてを変えというようにやっていくのが、自閉症支援の基本ですから。
連携ができる部分があるとすれば、般化の部分だし、お互いができないところを役割分担して支援するくらいなもの。

まあ、グダグダと説明してきたけれど、「担任が変わったら一からやり直しになる」「担任と副担のやり方が違い子どもが混乱している」っていうような学校を見れば、情報の共有も、連携も、無理なことは良く分かります。
だから、私は最初っから無理だという前提で、会議(交渉?)の場に向かいます。
特別支援の世界では、「情報共有」「連携(協働)」が素晴らしいことであり、当然なことと捉えられていますが、私はただの"絵に描いた餅"だと思っています。

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