2020年6月17日水曜日

【No.1073】神経発達症を治すのは、特別なことではない

2013年以降、発達障害が「神経発達症」に変わってから、世界の流れは確実に「治す」に向かっています。
日本では、まだ「自閉症」や「知的障害」「発達障害」という診断名と言葉が中心ですが、神経発達症という状態には変わりがないのですから、本人が目指すところは、より良い神経発達であり、親御さんの目指すところは、その後押しになります。
より良い神経発達が進んだ先に、診断基準を飛び越える状態があり、治った姿があるのだといえます。


私も、読んでくださる方がわかりやすいように、「自閉症」「発達障害」という言葉を使ってきました。
近頃、これもよくないのかなと思うようになりました。
「自閉症」という言葉には、長らく「脳の機能障害」という言葉がくっついてきました。
「発達障害」という言葉には、もろ「障害」という言葉がついています。
「発達障害を治す」と言うと、「治らないんだから、障害なんだ」という決まった問答が繰り返される。


既に「自閉症」も、「発達障害」も、障害ですらなくなったのですから、障害を連想させる言葉を使わないほうが、これからの人のためになるかもしれないと思いました。
今、現時点で、成育歴を振り返ると、神経発達に滞りがある状態。
その滞りは、人それぞれ違うけれども、同じ人であったとしても、今日と明日では状態が変わっているけれども、神経発達の滞りは、みなさん、同じね。
だから、その人達を「神経発達症」と呼びましょう。
行政的な判断をするのに、決まった言葉があると良いから、といったところです。


神経発達の滞りを環境、刺激、栄養の面から治していくのは当たり前ですし、それによって治る人が大勢いるのも当たり前。
治るものを、「治らないんだ」と言い張り、指をくわえている方が今の世の中、トンデモと言われるでしょう。
義務教育を受ける世代の子ども達に教科を教えないのが「おかしい!」と言われるように、治る部分を治そうとしないのもおかしな話なのです。


親御さんの中には確固たる信念や理解があるわけではないけれども、「我が子は治らない」と思っている人達もいます。
実際、そのような方達の発達相談も行ってきました。
そこで感じるのは、治る部分と治らない部分・治すべきではない部分が一色単になっている、ということです。
たぶん、「治る」というと、一気に同世代の子どもと同じようになり、あれこれができるようになる、と思われているのでしょう。
しかし、それは間違いです。


私が発達相談で行うのは、まずどこが治り、どこが治す対象ではないか、を見極めることです。
持って生まれた性格や親御さんから引き継いだ資質などは、治す対象ではありません。
あくまで、治るところを治す、治すべきところを治すのです。
治るところとは、育てられるところと言い換えられるかもしれません。
実際、知的障害が重度と言われる子や行動障害を持っている子、医師や支援者にさじを投げられた子も、丁寧に見ていけば、治せる部分、育てられる部分をたくさん持っています。
私は、この道に入って15年以上経ちますが、まったくやりようがない、育てられるところが一つもない、という人にはあったことがありません。
もし、そのような発言(「やりようがない」)をする支援者がいるとしたら、それは本人に問題があるのではなく、その支援者に見抜く目がないからだといえます。


では、具体的に治る部分、育てられる部分とは?
それは、感覚・身体・運動などの未発達の部分です。
それは、愛着形成という人と人との関係性で育てる部分です。
それは、問題行動や誤学習という間違った形で適応してしまった部分です。
未発達・愛着・誤学習は治せるし、やりようがある。
こういった部分を、「発達障害だからね」という言葉で片づけてしまうのは、とても勿体ないことであり、一人の未来と人生を他人が奪うことにもなります。


神経発達症の子を見て、「治らない」と思ってしまうのは、育てられる部分と育てられない部分、治る部分と治らない部分が区別できていないからです。
繰り返しになりますが、神経発達症は1つの決まった状態、測定できる状態を表しているのではなく、「その人によって違うけれども、神経発達に滞りがあるよね~(ざっくり)」というものなのです。
それこそ、自閉症も、自閉"スペクトラム"症という具合に、症状に濃淡があり、定型発達と連続している状態だと言っているのですから、育てられる部分、治せる部分は大いに治していけば良いのです。
今どき、神経発達症の人達のことを、「固定された状態の人」と捉えている人が珍しい人になります。


「性格を治す」「低い身長を高く治す」「親から受け継いだ遺伝子を治す」と言えば、トンデモです。
でも、「未発達を治す」「愛着を治す」「不適応行動(誤学習)を治す」というのは、至極、当たり前なこと。
その当たり前なことをするのが親御さんであり、そこを本人が治すのを、我が子を治す後押しをするのを、支援するのが私達、支援者の仕事になります。
神経発達症を治す後押しをするのは、バナナジュース屋がバナナジュースを作るようなものであって、特別なことではないのです。




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