【No.1075】「他人の気持ちがわかりません」という自己紹介

「自閉症の人は、他人の気持ちが分からない」と言われることがあります。
実際、そういった記述も、自閉症・発達障害に関する書籍などで見かけますし、医師から、専門家から、支援者から「そうやって言われた、説明された」とおっしゃる本人や家族とも私はお会いします。
しかし私は、この説明・文言と出会うと非常に違和感を感じるのです。
まるで「人でなし」と言っているような言葉に憤りを感じるのです。
私が施設で関わっていた子ども達、今、仕事で関わっている人達はそんな人達ではない。


確かに現実問題として、他人の感情が読めずに、周囲とトラブルになってしまう人たちもいます。
でも、その人達がまったく他人の感情が読めないか、想像できないか、していないか、と言ったらそうではないと感じます。
ある重度の知的障害を持つお子さんは、お母さんが泣いていたとき、スッとティッシュを差し出しました。
それを見て、意地悪な支援者は「たまたまだ」「泣く→ティッシュというパターン行動だ」というかもしれません。
しかし私は思うのです。
完全にではないが、いつもではないが、他人の感情を察する瞬間がある、と。


自閉症の人達に感情を読む機能の欠落があるとは、私は思いません。
彼らと時間を共有していますと、感情に共感する瞬間がありますし、他人の感情を読もうとしようとすることがあります。
でも、共感の幅が狭かったり、共感したことを表現する手段が限られていたりします。
他人の感情、場の空気感を推測しようとするのですが、解釈の部分でズレていたり、そもそも推測に必要な刺激を受け取る感覚、身体が育っていなかったりするのだと思います。
はじめから感情を持たずに生まれてきた人達ならそうなのかもしれませんが、本人たちに感情はありますし、その感情も成長と共に豊かに育っていきます。
同時に、他人と感情を交わらせ、共感できるようにもなっていく人達も大勢います。


幼少期、「この子は一生施設ね」と言われた若者が今は一般就労し、そこで接客業をしています。
さらに上司から、「〇〇さんは、とても気が利くね」と褒められることがあったそうです。
いわゆる自閉症の人達が得意としているパターン化だけで、接客業は続かないし、他人から「気が利くね」とは言われないと思います。
つまり、「他人の気持ちがわからない」というのは障害特性ではなく、背景には未発達があり、身体と感情のズレ、繋がりの悪さがあるのだと私は考えています。


他人の気持ちがわかるには、まず自分の気持ちがわからなければなりません。
それには感覚的に自分という存在が把握できていなければなりませんし、当然、その前段階に自分を感じられるための感覚、身体が育っている必要があります。
周囲からの刺激を感じ、自分を感じることができる。
その身体で感じた刺激を脳と繋げるための中枢神経も重要になります。


また周囲は、「他人の気持ちが分からない」のか、「他人の気持ちが分かるけれども、行動しない」のかの区別ができません。
特に、「自閉症とはこうあるべきだ」というデジタル脳の人は難しいでしょう。
「他人の気持ちが分からない」と言われるようなお子さんでも、実際は他人の感情が分かっている。
でも、そのあとの行動が伴っていない、どう行動していいかがわからない、という子も少なくありません。
こちらは動きの発達、または愛着の発達と関わっている部分だといえます。
動きがちゃんと発達している子は、パッと行動に移せますし、愛着の土台が育っている子は、自ら行動することに対して自信を持っているものです。
気持ちはあるけれども、自信がなくて一歩が踏み出せない子もいるのです。
それって障害ですか?
それって生涯変わらないものですか?
その子達に、他人が「他人の気持ちが分からない」と言うのって、大変失礼なことだといえないでしょうか?


こうやって自信を持って言えるのは、実際に他人の気持ちに共感し、気遣いや行動ができるようになった自閉症の人達、発達障害の人達と出会ってきたから。
そしてもう一つ、いわゆるサイコパスと言われる人とも関わったことがあるからです。
他人の感情を読みとるのがうまく、そこを利用するといったサイコパスの人もいるようですが、私が関わった人は、最初から人を人と思っていないような感覚がありました。
私が今までに出会ってきた人たちからは感じない違和感を持ったのは確かです。
もしかしたら、未発達ではなく、なにかを失っている人はいるかもしれません。
でも、ほとんどの自閉っ子、発達障害の人は、未発達ゆえだと思います。
それに他人がひと様のことを、「こういう人間である」なんて言うのはおこがましいことであり、誰にもそんな権利はないでしょう。


「他人の気持ちがわからない」というような専門家がいるのでしたら、「それは先生のことですか?」と訊き返しましょう。
きっと自己紹介をされただけですから。




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